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走り続けているとまた交わるのかもしれない
昨年末の“底上げマラソン”で思い出に残っているシーンがある。
それは、赤木菜実子(写真左)から内藤由佳(写真右)に襷が渡ったシーンだった。ともに大学4年生の2人、実は同じ高校の陸上部の同級生。高校時代は長距離ランナーとして、同じチームで競技に打ち込んでいた。
外野ながら、僕がこの2人の襷リレーに感慨深くなるのは理由がある。
由佳と菜実子とは、それぞれ違う時期に知り合っている。由佳と知り合ったのは、2015年1月。僕が大学1、2年の時に高校生のマイプロジェクトをサポートしていた中で、来てくれた高校生のひとりが由佳だった。(僕が限りなく金髪の茶髪だった時代である)
中学時代は宮城県代表として東日本女子駅伝を走ったほどの実力者。高校入学後もトラック、駅伝ともに東北大会を走った。
しかし、僕と知り合った頃の高校2年生後半はいろいろと悩んでいた(ように見えただけかもしれない)。チームの中ではエースだが、中学、高校1年の頃のようにキレのある走りができず「あの頃のように走れるようになりたいです」と嘆いてた覚えがある。(嘆いてなかったらごめん……)
陸上から離れた後も、しばらくは走れた当時のことをひきずっているような気がした。正直なところ、その目線まで行ったことがないので、当時彼女がどんな想いをしてたか完全には分からない。
けれども、走りたいのに走れなくなった経験がある自分としては、彼女の悲痛な想いは少しだけ分かる気がした。
時は過ぎて2017年12月。僕が再び走り出して半年ほど経った頃、月1で参加してた仙台でアクションを起こす人たちの合宿がきっかけで菜実子と知り合った。
初対面の時にお互い駅伝が好きで意気投合し、いろいろと話を聞いていったら由佳と同じ高校、陸上部のチームメイトだったと分かった。狭い仙台とはいえ、そんなことがあるのか…と驚いた。
菜実子は、由佳とは逆の存在だった。高校生時代、同じ学年の中で唯一控え選手だったという。
知り合ったばかりの頃に2人でお茶をしたのだが、高校時代は走ることが嫌いになったと話していた。走っても走っても結果が出ない日々。朝練も頑張ってる、練習も頑張ってる。なのに、結果がついてこない。走れば走るほどボロボロになっていく。
そんな話を聞いていて、僕は泣きそうになった。自分の高校生時代を思い出すようで。
一緒に走らない?と誘ったが、当時は「私は走るのはもういいんです。」と言っていた。
しかし、気づけば菜実子は周りで走る人たちに引きずられるように走り出していた。「もういいんです」と拒んでいた大学生は2年経った2019年、数々のハーフマラソン、マラソンを走っていた。
高校時代、走ることを嫌いになった彼女は走ることから遠ざかったが、時を超えて走り出し、周りを勇気付ける存在となった。2019年、誰よりも走ることに熱心だった。
2019年の底上げマラソン。高校時代、走ることに悩み、苦しんだ2人の襷は5年の月日を経て繋がった。タイムや実力ではなく、純粋に走るということを通じて。
2020年の年明け、菜実子のRuntripジャーナルを読んでいて忘れられない言葉があった。
「高校で陸上をやめて、もう2度と走ることなんてないと思ってた。速く走れないのに走る意味なんてないと思っていた。でも、3年の時を経てまた走り出した。走ることで絶望したけれど、絶望から救ってくれたのも走ることだった。現役の時よりずっと遅いけれど、今は心から走ることが好きだ。また走り始めてよかった。」
走っていると、またどこかで繋がれる日がくるのかもしれない。
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