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この当たり前が奇跡であるということ

動物の顔に見えなくもない天井の微かなシミ、
正確なリズムを刻みながら数字の周りを駆け回る秒針。
朝目が覚めて、それらが見えるということが、
どんなに愛しいことか。
そんな当たり前で平凡な景色が、奇跡で溢れているということを、
僕は少しだけ、知っている。

2011年、3月11日。
自分自身の無力さを、弱さを、浅さを、履き違えた身の丈を、
思い知って、心得て、そして噛み締めて、
僕が最初に決断したことは目の手術だった。

どんなに快眠した後でも眠たそうに見える顔の作りや、
揉め事を好まず、優柔不断を極めたような性格など、姿形や中身だけでは止まらず、僕は母親に似て極度の近眼、乱視持ち。
小学校の中学年くらいの頃から、メガネやコンタクトレンズ無しには生きていけない日々を送っていた。

もしも自分がこの先、大きな災害に遭った場合。
その際に、コンタクトレンズ、メガネを紛失してしまった場合。
大切なものも守る守れない以前の問題として、人に迷惑をかけてしまうに違いない。
思い立ったらなんとやら、すぐに病院を調べて、スケジュールのここしかないという空いている日程を見つけて、
僕は視力の矯正、レーシックの手術をした。

手術台に乗せられ、手足をジタバタと動かさないように金具できつく縛り付けられると、特殊なスーツを纏った集団に囲まれ、頭上に現れた強力なレーザーを発射する機械。
(か、改造される!)
漫画や映画で人間が宇宙人に解剖されるシーンを見たことがあるが、レーシックの手術はまさにそれだった。
宇宙人のスーツ(実際には白衣)を纏った医師たちに、
手足と共に目を強制的に金具で瞬きしないようにがっちり固定され、
そこに乾燥しないようにと涙に近い液体と麻酔が継続的に吹きかけられている。
一瞬自分の視界が濁る。目にメスが入っているのだ。ゼリーみたいに自分の目がぷるんと揺れているのがわかる。そして目に直接レーザーが当てられる。
ジジジジジ、と歪んだ音がした。
レーザーに焼かれて自分の目の焦げる臭いが嗅覚を強烈に刺激した。
ジジジジジジジジ….(焦)。

無事人体改造が終わり、宇宙人たちに解放された僕は、
今度はスキューバダイビングにで海の深くまで連れ去られるのか心配になりつつ、透明なゴーグルをお土産に渡され(処方され)、すぐさまそれを身につけるように指示される。
今日1日はこのゴーグルをして、決して目に触らず過ごせとのこと。

が、悲劇は突然に訪れるからこそ、悲劇なのである。
自宅に戻り、リビングのソファーでぐったりしていると、強烈な痛みで目が覚めた。右目が焼けるように熱いのである(実際にレーザーで焼いてるので熱いのは当たり前なんですけど)。
もしも我慢できなかったら、という前置きのもと用意してもらっていた痛み止めの薬も、早々に白旗あげてギブアップ。勢いよく飲み干して、冷凍庫にあった氷をタオルに包んで目に当て、夜が明けるのを悶えながら、ただひたすらに待った。

案の定一睡も出来ぬまま朝を迎えた。
微かに見える左目を頼りに、ひたすらウインクを決めながら病院へ向かう。さぞかし気持ちの悪い成人男性であったろう。先生が来るよりも先に病院に着き、お兄さんかお姉さんかもわからない受付の方に事情を説明すると、すぐにより強い痛み止めの目薬をさしてもらい、ほんの少し落ち着いた。
先生の診察はとても素っ気ない、呆気ないものだった。
どうやら絆創膏代わりに目を保護していたコンタクトレンズが外れてしまい、
レーザーでやけどしていた患部を、自分でまばたきすることによってグリグリ擦ってしまっていたのが痛みの原因らしい。
あと1日我慢すれば良くなりますよ、とのことだった。
痛み止めを使うと治りが遅くなるんでなるべく我慢してくださいね♡(これは前日から言われていたが、案の定、僕はすぐに使ったし、また使った。)
なのであと1日追加で「うぉぉおおおお、いてぇえええええええ」と、心の中で叫びながらも、瞬きすると痛みが走るので、ただただ悟りの境地を脳内で模索し、そんなこんなで、僕の視力は右0.01、左0.02から両目ともに1.0に回復した。

朝目が覚めて、天井がはっきりと見えることに驚いた。
そのままムクッと起き上がり、メガネをかけなくても時計の針がくっきり何時を指しているかがわかることに感動した。
他人の毛穴の汚れや肌荒れがよりはっきりと見えてしまうことに動揺もした。
世界が変わった!とまでは思わなかったが、
僕の中で世界が以前より、鮮やかに明るく、解像度が上がって見えていた。

ただ、話はここで終わらない。
以降、僕は幾度となく目にまつわるトラブルに見舞われることになる。

いつぞやのライブで最後の曲を終えてクタクタで楽屋に戻ると、
楽屋中に白い煙が充満していて、
「え、火事?大丈夫?」と僕はひとり慌てて騒ぎ立てたが、
皆一様に不思議そうな顔でこちらを見ている。
どうやらこの部屋を覆う白い煙は僕にしか見えていないらしい。
「目がおかしいよ金井。」
鏡を見てみるも、よくわからない。どうやら濁っているのは僕の目のほうらしい。
帰り道の高速道路、光が滲んで流れ星のように見えるのを綺麗だななんてぼんやり眺めて見ていた。

次の日の朝、僕は両目ともに激痛で目を開けることが出来なくなっていた。
とにかく病院に行かなくては。自分の記憶を頼りに、確かベットの脇の本棚に眼科のパンフレットがある。手探りでそれらしきものを手に取り、今度はクローゼットの中から色もわからず靴下を取り出し、上着を一枚だけ適当に選んで羽織る。
あとは財布だ、壁伝いにそろりそろりとリビングを通り抜け玄関まで歩き、いつものところに置いてあった財布をポケットにしまう。
そのまま玄関を出て、マンションの前はすぐに大通り。いつもならここで簡単にタクシーが止まる。激痛と代償に目を開けると薄っすらと見える道路と車。
”空車”の文字がわからない、というかそもそもタクシーかどうかもわからない。
とりあえず僕は片っ端から手を挙げて、車が止まってくれることを願った。

運良く一台のタクシーが止まり、倒れ込むようにして席に座りパンフレットを渡す。
「とにかくここに向かってください。」
しかし、住所がどこにも書いてないらしい。どうやら隣に置いてあった手術の説明のパンフレットを持ってきてしまったようだ。
それでも運転手さんが僕のただならぬ状況に気づき、病院の名前を調べナビをいれて、そして目的地の近くにたどり着くと車を停め、入り口まで手をつないで誘導してくれた。
いつか目が悪くて困っている人がいたら、力になろうと、この時心に誓った。

今度は先生も少しばかり困った様子だった。
ライブ中に強い光、照明が目に入ってしまったことが原因として考えられるが詳しくはわからない、とのことだった。
当時、肉体的、精神的疲れもあったのかもしれない。
帰宅し、その日1日、僕はできるだけ微動だにしないように、まばたきをしないようにして過ごした。
いろんなことを考えた。考えざるを得なかった。
これがもしライブの当日だったら、僕は歌う事が出来るのだろうか。
椅子さえあればなんとかできるか、いや、エフェクターのスイッチをどうやって踏むんだろう。
それでもだんだんと視力が回復し、翌日にはほぼ元通り。
昨日の大騒ぎはなんとやら。気づけばパジャマに上着を羽織って左右色違いの靴下を履いたままだった。

それから僕は似たような出来事を、人知れぬところで何度か繰り返していた。
舞台に立つことの恐怖感と、それ以上の何かを常に天秤にかけてその重さを確かめながら、季節に一度あるかないか、ほんの数%の確率で、ライブ後の楽屋で僕にだけ充満する白い煙は訪れる。
慣れたものでその煙を見つけると、事前に次の日の分の食事を買い込んでおくことや、病院の付き添いを友人にお願いするようにもなっていた。
幾度と繰り返していくうちにわかってくることもあって、
髪につけているスタイリング剤が、汗と一緒に流れて目に入って沁みているのがとても目に良くなかったり、
こまめに目薬をさすことで予防ができたり、
そもそも光を見つめすぎないことであったり、
最終的にはライブの照明の中に光の輪っかを見つけると、
それが自分の目の危険のシグナルであることを、ある程度把握することが出来るようにもなった。
(ライブ中サングラスをかけることも考えたけど、それは性格的に無理だった。)

それから数年経ち、今はもう、
ライブ中に光の輪っかを見つけることは無くなった。
付き合い方がわかってきたところもあるだろうし、どうやら何年か経って馴染むこともあるらしい。
歌いながら、過剰に目を瞑る癖は治らないままだけれど。

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この本を読み終えた時に、
もしも目に関して、僕と同じようなことで悩んでいる人がいればと思い、この長すぎる読書感想文(なのかは怪しい)を拵えた次第。他意は無いです。

先のこと、未来のことは正直わからないけれど、
今この瞬間に、この目が見えていること、
この奇跡を、とても愛おしく、ありがたく、思っています。
いつかこの目で見てみたいもの、ずっと見ていたいもので世界は溢れているので。

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MasatoKanai
褒められても、貶されても、どのみち良く伸びるタイプです。

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