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夢見モグラは空を待ち侘びて 49日目

モグラは目が覚めると、
掛けていた毛布が部屋の片隅まで吹き飛ばされており、
ブルブルと震えた状況で朝を迎えた。
鼻から透明な液体がストンと落ちてきて、
それを定期的にズルズルとすすりながら
両腕を擦り合わせ、
小刻みに足をジタバタと震わせたまま、
しばらくそれを抑えきれずにいた。
その日出された食べ物を、
3食ともに、
全て食べきれずに残してしまった。

モグラはおでこに手を当てると、
何だか少し熱い気がして。
全然何もしていないのに、疲れてもいないのに、
一日中ベッドの中から動くことができなかった。

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温度についての話。


もともと平熱が37℃を超えることが、
何ら平常営業の自分にとって昨今の状況はとても厄介だ。

37.5℃以上の方はご遠慮ください。

毎回ヒヤヒヤした気持ちで、
熱を測られたり、カメラの枠内に顔面を納める。
タブレットのディスプレイに映る、不安な顔をした男性とは良く目が合う。
の癖に、低い時は低いで35℃台というのだから困る。
熱しやすく冷めやすい、という言葉は自分のためにあるのではないかと思っていたことすら。

熱はいつか冷める。
ここでは上記のような具体的で物理的な、温度のことでなく、
情熱や、恋や、気持ち、など目に見えないものの、比喩としての、
温度について考える。
昨今の自分はどうやらフライパンの技術と同様に進化が止まらないのか、
ほどほどに熱しやすく、おおむね冷まさない。

相手を一瞬にして引かせてしまうような。
生理的に受けつない言動や行動。
大袈裟な寒っっっっっつというリアクションでもとってくれたらわかりやすいけれど。
人の気持ち、言葉には、どうやら温度があるらしい。

冷めてしまう、冷ませてしまった、行動、言動。
その温度は一体何℃?

例えば冷たい飲み物と、温かい飲みものを隣り合わせる形で並べて置いておく。
必然的にそれらの温度はそれぞれに影響を及ぼして、
温かい方はぬるくなるし、冷たい方もちょっと温くなる。
これは恋愛ごとだったら綺麗に済む話かもしれない。
二人が隣り合う時間を過ごす中で、お互いの居心地のいい温度感、常温が見つかるみたいな。

恋は風邪に似ている。
時が経つにつれ、それがいつか嘘のように思える日が来る。

川村元気さんの四月になれば彼女はの一節は、とても恋に辛辣だけど心地いい温度の表現だ。

ただ、仕事やプロジェクト、スポーツのチームなんかをイメージすると、
この温度の例えは結構悲惨だ。
情熱の無駄遣いほど悲しいことはないし、冷めたやつのせいでぬるま湯のチームの誕生。
そういったことは、きっと学生時代の、
合唱コンクールに挑むクラスの団結みたいなところから、
社会経験としてそれぞれがあらゆる場面で何かしら味わっていることなのだろうけど。

物事や場面、相手によって、適温は存在する。
自分がどの温度感でその物事に挑むのか、
はたまた自分の存在はその場所に相応しいのかを含めても、
常に自分の目には見えている世界とは別に、
サーモグラフィーとして世界を見渡す必要があるのかもしれない。

冷めてしまう、冷ませてしまった、
その温度は一体何℃?

結局は血が通った、ほぼほぼ同じ原理構造で生きる生き物が、
ほんの少しの行違いや、すれ違いだけで生まれる誤差に、一喜一憂しているのに過ぎないのだけれど、
(僕自身も心のない一言に、モチベーションを削がれるなんてことは良くあるし、言われないことを適当に言われるのはちょっと悲しい。)
きちんと血が通ったものは、そんなに冷たくはならないはずなんだけどな、
という少し愚痴なようなことも含めて。
それではまた、明日。

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本日の表紙はm622o511eさんの写真を使用させていただいております。


褒められても、貶されても、どのみち良く伸びるタイプです。