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図書館ですが多少音が鳴ります。
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告白という自己満足について

1週間前くらいからなんだか眠れなくて気づいたら朝みたいな。 手や声の震えが止まらなくて、心音がうるさいくらいに爆発寸前、そんな告白の瞬間はこの先、生きていて何回訪れるのだろう。いや、もう無いのかもしれない。 そしていつかそんな気持ちも、忘れてしまう日が来るのだろうか。 そもそも告白って、きっと自己満足では。 それが愛についてでも、それ以外のなんのカミングアウトでも。 もちろん誰かに何かを伝えるため、理解してもらうためという要素も含んでいつつも、心につかえて、堰き止めていた何

正義感にも酔いが回ると

街中に“道徳警察”が存在し、 髪の毛や、肌の露出に対して取り締まりがあり、 違反するものには処罰が与えられる。 これは小説や映画の世界の話でなく、 どこぞの校則の厳しい中学、高校の話でもなく、 2022年のイランのテヘランでの話である。 ヒジャブといって髪を覆い隠すものの使途が適切ではないとみなされ、 拘束され、のちに死亡した女性。 宗教や、文化など、時間と共に積み重ねられてきた正しさが、 その形を変えていくことは容易ではない。 作者であり主人公は、 1979年のイラン

もしも人間に尻尾があったなら

今機嫌が良いのか悪いのか、 人間にも尻尾が見えれば良いのにな、なんてたまに思う。 ⁡ 世界中には色んな言語があって、 さらに方言なんか加えてしまったら 実際に言葉で分かり合える人はほんの一握りの数%に過ぎないし、それが本当のことなのか、嘘偽りなのか、その精度、みたいなものもたいして信用ならない。 ⁡ もしも人間同士が”言葉”を失ったとして、 この世界には何が起きるのだろうか? 意思疎通をはかれない人々には争い事が絶えないのだろうか。 それとも人を騙すようなことも無くなって、

あなたが理解してくれさえすれば

自分の人生は、 一体どこからどこまでが自分だけのものなのだろう? 例えば育ててもらった親と、 愛するパートナーと、 恵まれた子供と、 人は1人で生きているようで常にどこか切っても切れない何かで繋がっている。 仮にそう言った、しがらむものを全て削ぎ落とした時、 一体自分にはどんな欲望が、どんな絶望が残っているのだろうか? いや、もしかしたら何も残っていないのかもしれない。 この物語の中で、 遠く離れた東京と瀬戸内海に浮かぶ島を繋ぐ想いは、 結んでは解けて、途切れては絡み合い

騙される方だってそれなりに罪深い

人類が進化していけば、犯罪も進化していく。 かつてトンネル工事を効率化する目的で発明されたダイナマイトが、 その後どう使われたか、が歴史に傷跡として太字で刻まれ、 人類が幸せになろうとするエネルギーと、 他人を不幸に陥れようとするエネルギーは、 押し合いへし合いのおしくらまんじゅうを繰り返しながら、今日も渦をなし、日々は混沌としている。 それを発明した人、作った人の気持ちはさておき、 どうやら便利になれば人が幸せになるかというとそうとも限らない。 この物語の中において、

明日が来る度に生まれ変わればいい

不合格、不採用、落選のお知らせ、 ご縁がありませんでした、 一瞬の人間関係でも、一生のお付き合いでも、 メールで、電話で、書面で、口頭で、 一体自分は今まで何度”選ばれない”という経験をしてきたのだろう。 そしてこれから先もきっと。 派手に縫い目の見えるものから、決して目に見えない細かなものまで、 その都度、確かに心は傷ついていて、 あれ?もしかして世界に自分は必要のない人間なのでは?なんて思えてしまう。 自分なんて〜という言葉は毒だ。 時折うまく謙遜に使うと薬味になれど、

選んでいるようで、選ばされている

全くないものをあるように見せること。 0を1に見せることがやらせ、 1あることを2にも3にも10にも見せていく、というのが演出。 で、ヤラセの何がいけなくて、演出なら許されるのだっけか。 例えば日常生活の中でも、 新しくオープンの店に人を雇って行列を並ばせる。 新商品を人気のインスタグラマーにこっそり紹介してもらう。 いわゆるサクラとかステマと呼ばれるものは問題視され、 知らないうちに自分自身は巻き込まれているのかもしれない。 それでもその線引きはとても不明瞭というか、まだ

粉々に吹き飛ばしてしまいたい

誰にだって生まれゆく、怒りという感情。 その導火線は地雷の如く埋まっていたり、 センサーのような仕組みで感知されたり、 人それぞれに敏感さも危うさも、長さも太さも存在していて、 いつどこで誰の何が爆発するかはわからない。 大概の人は人知れず我慢をしている。 例えそんな感情が湧いたとしても、 せいぜいやけ食いするか、やけ酒するか、買い物でも何でも代替的な発憤で紛らわせることで、人間は何とか正気を、集団を保っている。 そこで、もっとも理不尽で厄介なのが、 全く無関係の人間がそ

億人億色

好き嫌い、合う合わない。 おおよそにしてある程度のものは選ぶことはできるけれど、 家族は選べない。 俗に言う親ガチャの当たり外れ、 裕福さを星のランクで語ればいいという単純な話でなくて、 その場所ごとに、億人億色、 兄弟、姉妹、を巻き込んで、 最もプライベートな空間であるからこその、 困難も、ストレスも、喜びも、幸せも、 そこに完璧なんてものはあり得なくて、 幾多の間違いの先に、正解が、納得が、いつか許せる時が、 腑に落ちる瞬間がきっとあると信じたい。 どれだけ男女平等を