
「本のある暮らしーその16」―本屋を自画自賛する|MASATO ZAITSU @BookHiroshima #note||新刊書店員は年間7万点強の本を初めて見届ける人達で、古本屋は何十年携わっていても初めて見る本が際限なくあることを知る人々だ。
本を扱っているので「本屋」という同じカテゴリーになるが、新刊書店と古本屋は全く別の商いである。仕入れ方法と仕入れ値、販売価格などが大きく異なっている。
よって本屋を考える場合には別々に俎上に乗せる必要があるが今回は古本屋について考えていく。
昨今、街から本屋、書店が消えていくことを嘆くニュースが毎日といっていいほど流れてくる。この場合の本屋はほぼ新刊書店を指す。そう言い切れるのはなぜか?古本屋はもうとっくの昔に街から姿を消してきたからだ。
広島を例にとればよくわかる。広島大学が広島市中区千田町にあった前までは、ちょっとした古書街が成り立っていた。そこには、学生が本を安く買い、お金に困れば本を売るということが日常的に行われてきた。その千田町古書街は現在すっかり姿を変え、当時のままその地にあるのは「大学堂書店」だけとなった。
同時に現在は形を変えた古書店がかなり増えてきた。ブックカフェが定着して久しいが今はより姿を変えた古本屋が広島だけでも相当生まれている。カフェやバーなどを兼ね備えた形で、基本店主のみで運営しているいわゆる小商いである。面白いのは、近年本を売るには必須であると思われてきたネット販売を行っていない店も多くあるという点ではないか。
少なくともそこにはあまり頼ってはおらずあくまで店売りのみで生計を立てているケースが目立つ。この再び復活を遂げている毛細血管のような現象はおそらく全国的な流れである。
一方大動脈的新刊書店はそうそう出店できないことにすでになった。仮にできても大きな事業としてのリスクが伴う。シンガーや芸人を目指す方が、売れ出すまでアルバイトをしていることがあると思うが、古本屋を起こすのはそれに似ているのかもしれない。
実家の一部を使用したり、借りるのが小さな店舗でも古本屋なら可能となる。新刊書店は流通システム上、取次を通さなくてはならないが、古本屋は新刊書店の概念をすべて取っ払うところからスタートできる。
新刊書店員は年間7万点強の本を初めて見届ける人達で、古本屋は何十年携わっていても初めて見る本が際限なくあることを知る人々だ。
似て非なる二つの本屋で唯一共通するのはそこに生まれる感性のみである。その驚きと新鮮さに対する謙虚さがなければ、本が売れないと嘆いてはならない。
嘆くのはそれからだ。