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「本のある暮らしーその2」中国新聞セレクト「本のある暮らし」を追記修正しました。 よろしければお読みください。

 「どんな本を読めば賢くなりますか?」子どもさんに対する愛情の深さゆえ、ごくたまにこのようなご質問を頂く。残念ながら賢くなるなどの本はほぼ存在しない。本を読めば賢くなるのではなく、賢い子が本を読むからだ。もちろん、ここでいう賢いはテストの点数が高い子どもではない。あくまで私の定義であることをお断りしておくけれど、―物事に対して出来得る限り多角的に考えることができ、その考え方を言葉で伝えることのできる人、となる。自分自身が書いた文章が大好きで仕方がないという方は別にして、おそらく文章を書いている方で校正の段階や推敲の段階を終えた文章、ようするに本や媒体に掲載された後の文章や作品を何度も読み返す人はあまりいないと思う。理由は二つ、まず、読めば必ず直したくなる、次にすでに直せないからである。だから、出版物には締切がある。でないと、推敲が延々と続くことになる。エイヤッ!と印刷所へ原稿を入れてしまわないことにはずっと本にならないのだ。話を戻すが、以上の理由で読書は基本的には他人、第三者の書いた文章を読む作業となり、よって賢い子が本を読むと書いた最大の理由となる。自分以外の人間の考え方を知りたい、第三者が創りだした物語を知りたい。これが読書の唯一無二の理由であるはずだ。それを親や大人がきちんと認識していると、子どもから本や読書を奪い取る禁断のワードを発することは無くなるはずなのだ。

「そんな本を読んで何になるん?」「読める本にしんさい」「わかるん?」「マンガ?」本屋でこれらを耳にするたびに胸が締め付けられる。親が読者家であるか否かは全く関係ないし、ある意味本を読む人であればあるほど、大切な人に対して言ってしまいがちな言葉でもある。子どもたちは、自分で選んだ本のページを開いたらやっぱり読めないかもしれないし、言われたように全くわからないかもしれない。そこで「あ、やっちゃった」と子どもなりに感じたのなら、それが賢い人への登竜門であるのかもしれない。賢い大人は、子どもの向学心、好奇心、独立心をふさいではならない。子どもたちのアンテナを見くびってはならないのであり、本と本屋は「考える」という今の世の中を生きていくための大きな鎧を育ててくれる場所なのである。大人にとっても子どもにとっても10人の人とじっくり対話するのは相当困難だが、本はそれを可能にする存在なのである。

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