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PODで小説『レッドベルベットドレスのお葬式 改稿版』を出版いたしました。

このほど、POD(print on demand)出版という形式でAmazonから『レッドベルベットドレスのお葬式 改稿版』という小説を出版いたしました。

タイトルにあるように、この小説は、19年前に出版されたものを推敲し、改稿したものを新たにペーパーバックの形式で再出版した書籍です。

POD出版は、PDFの扱いやすさの向上やレーザープリンタのテクノロジーがうまくマッチして生まれた出版形態だと思います。これまでKindleの電子書籍は個人での出版も可能でしたが、紙の本は出版社を介さなければ販売できませんでした。

POD出版の場合、Amazon指定のPDFを制作できることが前提になりますが、1書籍あたりのシステム利用料、5000円のみで出版が可能です。版費はかかりません。わたしはISBNという書籍用のバーコードを取得するためにさらに5000円支払っているので、費用は合計1万円程度でAmazonから出版することができました。POD出版の経緯は、別途掲載できたらと考えています。

『レッドベルベットドレスのお葬式 改稿版』

【あらすじ】
留学でフロリダに渡ったマサは、突然猛烈な恐怖に見舞われ、制御不能の恐慌状態に陥った。その後の医師の診察でパニック障害と判明する。さらに、12年前に蒸発し、まったくの音信不通だった父親の突然の帰宅を切っ掛けに、幼少期の虐待の記憶が蘇り、複雑性のPTSDを発症する。

しかしどんなに過酷な状況に陥ろうとも、諦めず生きることに希望を見出そうとするマサの再生をドキュメンタリータッチで描き出した長編小説――。筆者の実体験を基にPTSDの治療に有効とされるEMDRの描写は、淡々と展開されるダイアローグが圧巻の迫力を生み出している。

【書籍情報】
著者:新田将貴
発行:NextPublishing Authors Press    
定価:1,870円     
ISBN-10:4802080522
ISBN-13:978-4802080521
版型:B6版 ペーパーバック     
頁数:247ページ

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2003年3月に出版された『レッドベルベットドレスのお葬式』という小説は、20年余りしか生きていない若輩者がおこがましい限りですが、わたしの自伝小説です。

大学在学中にパニック障害という精神疾患を発症し、同じ時期に両親の不和や幼少期の父親の暴力などが起因する複雑性のPTSDだとも判明しました。

さらに時期を同じくして交通事故で頭を強打し、脳の硬膜外に血が溜まり、生死の境を彷徨いました。

この小説は主人公であるマサ、つまりわたしが、友人、精神科医、臨床心理士の協力を得て再生していく物語です。わたしの人生に大きくポジティブな影響を与えているEMDR(眼球運動による脱感作と再処理法)という心理療法を描いた箇所はこの小説のひとつのハイライトであり、すべてわたしの実体験です。

小説を改稿するにあたってずいぶん悩みました。ひとつは、著者ですが出版してからあまりこの小説を再読してこなかったので、トラウマ的出来事の詳細を目にすることへの葛藤がありました。当時を思い出して不安定になることはもうありませんが、四十路を過ぎて若い頃の赤裸々な自分の声を目の当たりにするということは、それほど気楽なことではありませんでした。

もうひとつは、予算の問題です。校正や組版を外注すると何十万もかかるので、本の制作からシステムへの入稿まですべて自分でするしかありませんでした。

編集・校正・装丁デザイン、本自体の組版デザインを、わたしの生業である、WEB制作の仕事をしながらやるとなると、相当タフな作業になることは容易に想像できました。

それでも出版しようと思ったのは、この小説を再読してみて、当時から20年以上経った現在でも主人公の声はまだ読者に届けるだけの価値があるのではないかと思ったからです。

小説では、主人公の人生は二十数歳で幕を閉じますが、当然ですがわたしの人生は続いています。小説後のわたしの人生について、別の機会に掲載できたらと思いますが、現在も月に一、二度深刻な気分の落ち込に見舞われます。パニック発作も数こそ減りましたがまだ起こります。非常に厄介です。また、交通事故後の慢性疼痛と、片頭痛発作は年々深刻になっていきました。

今のわたしの人生にすでに希望がないのなら、どんな試練が起きても人生に希望を見出そうとする主人公の存在は嘘になってしまう。小説後のわたしの人生はどうだったのか。

幸福なことに、老いで身体の至るところにがたはきていますが、わたしの人生はよくなり続けています。

学生時代、徹底的に自分のことを憎んでいました。当然自分の人生もほとんど諦めていました。でも自分の過去と向き合い続けたことで、わたしは少しずつ自分のことが好きになっていけました。ときどきはいやになりますが、たいていの時間、自分を愛し、敬意を持てるようになりました。これは驚くべき変化です。

最近の言葉でいうならば「自己肯定感」というものを、少しは獲得できたのかもしれません。これは自律神経のあり方を変えていかないといけないので容易なことではないかもしれません。でもきっと可能なことです。

そして、妻と出会ってからですが、抑うつが続いても、パニック発作が起きても、もう死のうとは思わなくなりました。これもとてつもなく大きな変化です。

40歳を間近に控えて、娘が生まれました。もうすぐ2歳です。過酷な家庭環境で育った子どもは成長してから、自分の子どもを持つことに躊躇したり、子どもを授かってからも多くの葛藤があるということは、よく知られたことです。

わたしも父親になってから多くの葛藤があり、子育ては生半可なことではないのだなと実感しています。しかしそれ以上に、自分の娘がこんなにも愛おしい存在なのだと、当然かもしれませんが父親になって初めて知ることになりました。保育園に迎えに行くと、彼女は最大限の笑顔でわたしを歓迎してくれます。可愛くて、仕方ありません。

よくなる自分を実感できて、今現在の幸せを享受できているのは、小説に描かれている当時、わたしを支えてくれた友人、医師、臨床心理士の方々のおかげです。感謝という言葉では足りないことを承知しています。そしてこの度は現在わたしを支えてくれる妻と娘のおかげで、無事改稿版が出版にいたりました。

コロナ禍にあって、精神の不調があるひとは多いと思います。わたしはフリーランスのWEBデザイナなので、仕事はすべてリモートで完結できるため、家を出る機会や会話が極端に減りました。しばしば味わったことのない非現実感を覚え、ぎりぎまで追い込まれることがあります。

でも生きていくしかないし、生きることを選ぶならば、できる限り幸せに、このnoteの背景画像に描いてあるように「人生を存分に生きていきたい」と願っています。

明るい内容の小説ではないですが、過酷な経験に人生を翻弄された若者が、今は父親になって元気にしているんだなという事実を踏まえて読んでいただけると、少しホッとしていただけるかもしれません。どうか少しでも多くの読者の方のこころに届きますようにと願ってやみません。

新田

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