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言語学習モチベーションは相手を理解したいという気持ち。

言語学習という行為のいいところは、ズルができないことだと思っていました。僕は効率的に物事進めることが苦手です。「コツコツと単語を覚える」とか「毎日CNNの記事を読む」とか、”継続”が報われる競技は私の生きる道でした

しかし!これからは変わっていくでしょう。私の得意分野は早々に駆逐されます(泣)。スマホの中に高機能自動翻訳機が搭載される未来はすぐそこです。東京オリンピックよりも早くやってくるでしょう。現状の翻訳アプリですら既にかなり役立ちます。喜ばしい未来です、いやホントに。

例えば英語学習は英語話者との意思疎通のためのツールという側面があったのですが、テクノロジーの向上によってその意味が薄まってきます。しかし、英語学習の意味がなくなるかといえば私はそうは思いません。英語学習を通じて私たちは、意識的かどうかはおいておいて、その言語文化に露出することによって「愛着」とか「慣れ」とか「親しみ」を養成してきました。英語学習が必須の国では、なんとなく英語圏に対して好意的な雰囲気が出てくるものです。

英語文化を理解したいという気持ちと英語学習、どっちが先かという話は、にわとりと卵の問題と同じで答えはありません。もし中学校から中国語学習を必修にすれば、日本と中国の関係性は長期的に大きく改善されるでしょう。

つまり、言語を学ぶというのはツール以外に異文化理解、つまりは世界平和に貢献していると私は思います。自動翻訳機が画期的ですが、それが異文化への露出を増やす方向に持っていかなくては本質的には意味がないと思います。

英語学習必修ということで私達は半ば強制的に英語文化圏にコミットする”きっかけ”があったわけですが、これからはそれが言語学習ではなくなって来るかもしれません。

どんなに技術が発達しても、大事なのは”相手を理解したいという気持ち”だと思います。この日本という島国でこの姿勢をどうやって培っていくのか。そのシステムづくりには、大きな価値があると思います。

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