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明治天誅組 その③ 碑に刻まれた名前

唐突だが、文京区本郷に大林寺という曹洞宗の寺がある。

文京区本郷から中山道を北上、追分からさらに日光御成道を行く。

もうすぐ白山というあたり、御成道から右に少し入ったところに大林寺はある。

門から本堂に続く参道。両側に墓地が広がっている。

参道の左に、自然石の大きな碑がある。

高さは人の丈を越え、横幅も1メートル以上はある。大きい。

碑の建立年は、明治十六年とある。

碑の後ろはすぐ生垣である。生垣と碑の隙間はわずかだ。

生垣と碑の隙間に頭を差し入れ背面を見ると、多数の人名が彫りこまれている。

その数は百人近い。碑文の建立に尽力した関係者の名前だ。

最下段、左から五番目にその名前があった。

野村潤次郎

関係者の名前は、それほど深く彫り込まれていたようではない。

しかし、今、彫られたばかりのように、きれいに確認できた。

諸葛秋芳君碑 裏面

寒波が押し寄せた、冬の日。

空は青空だった。

土曜日ではあるが、私がその寺に滞在した三十分間。

訪れるものは誰もいなかった。

西田仁兵衛。ここにいたのか。

西田について、長らく追いかけてきた。

奈良県東吉野村に、墓碑と戦地の地の碑はある。

が、それ以外で、三次元の資料に触れるのは初めてだった。

しかも、私が永く住んでいる文京区に。

明治になってからの、西田の足跡を発見できた。

それなりの感慨があった。
 
 
正面、上部に「諸葛秋芳君碑」とタイトルが書かれている。

諸葛秋芳は、長州藩出身の元奇兵隊士。戊辰戦争を戦った後、開成学校(後の東大)を卒業している。

その後、師範学校の設立など文部行政に関わっていた人物のようだ。

明治十三年、三十二歳で亡くなっている。

東京株式取引所の役員(肝煎)を亡くなる直前の三か月間務めている。

その功績をたたえるために、この碑が建立されたのは明治十六年十一月。

裏面に、この碑を立てるにあたっての関係者名が彫られているようなのだが、そこに「野村潤次郎」の名前があったのだ。

碑文の関係者には、長州藩の関係者が多いようだ。

少し気になるのは、天誅組総裁松本奎堂の業績を紹介した本を執筆していた津田信吉という人物。また、奎堂の盟友であった松林飯山の弟も名前がある。

その他、実業界、東京株式取引所関連の人物。そして、大隈重信の甥の名前もある。
 
 
この碑にかかれた野村潤次郎。

私はこの人物を、西田仁兵衛の変名と確信している。

あらためてそれを説明していこう。

まず、野村という姓。

その北畠治房は、天誅組三十三回忌祭文で、天誅組生き残りの一人として野村稲夫に言及している。

そもそも、この野村稲夫が西田仁兵衛と同一人物なのか。

西田には稲夫という別名があったといわれている。

ただ、ある研究書では、西田仁兵衛の他に西田稲夫という人物がいた。すなわち「二人の西田」説を記載しているものがある。(「実記天誅組始末」)

が、西田稲夫が西田仁兵衛と同一であることについては、あきらかである。

まず、天誅組を西田と共に逃れた北畠治房の手記『北畠治房奉答書』で、北畠は同行した男を西田稲夫と書いている。

北畠治房奉答書

別途、北畠が、天誅組について語った文書(『史文』 大正八年『贈正午五位乾十郎建碑式辞』)では、西田仁兵衛と呼んでいる。

即ち、北畠が伴林光平と十津川を逃れた際、同行した者。この者を二通りの名前で呼んでいるのだ。同一人物に違いない。

よって、西田仁兵衛が稲夫という異名をもっていたことについては議論の余地は無い。

その北畠が、どのような事情があったのか、天誅組三十三回忌祭文では、野村稲夫と言い直している。

稲夫というのは必ずしも平凡な名前ではない。それをふまえると、野村稲夫が西田稲夫であると推察することは必ずしも無理はない。

また、菊池寛の小説(『天誅組罷り通る』)には、野村潤二郎という名前が紹介されている。

「平岡の外に、西田稲夫がゐた。彼は江戸の産で、後に野村潤二郎と称したが、その他のことは不明である」

西田が、野村潤二郎と改名していたことが示唆される。

『土居通夫君伝』では明治以降の、西田の変名として「熊屋潤次郎」と記載されている。

菊池寛のいう、野村潤ニ郎と「潤二郎」の部分が一致している。

これらの資料を総合して考えると、西田仁兵衛が、変名として「野村潤次郎」を使っていたことが、十分に考えられると思われる。

西田仁兵衛の変名を、登場する書籍と共に、まとめてみると以下の通り。

西田仁平  『大和日記』(半田本、石田蔵)

西田仁兵衛 『大和日記』(松下村塾版、野史臺版)

西田稲夫  『北畠治房奉答書』(北畠治房)

野村稲夫  『天誅組三十三回忌祭文』(北畠治房)

野村潤二郎 『天誅組罷り通る』(菊池寛)

熊屋潤次郎 『土居通夫君伝』(半井桃水)

そして、今回、天誅組の初期の研究資料の中に、ある意味、決定的な情報を見つけたのだ。

(続く)


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