『オーケストラ!』に関する個人的な話
映画を観始めたときと観終わった後で、印象がまるで違っていたという作品がよくある。筆者が好きな映画の中でも代表的な1本と言えるのは、2009年のフランス映画でラデュ・ミヘイレアニュ監督、アレクセイ・グシュコフ主演、メラニー・ロラン共演の『オーケストラ!』だ。マスコミ試写、劇場公開を逃して、評判を聞いていたものの、なかなか観る機会に恵まれず、2011年の1月1日にその年の1本目としてDVDで初めて観た。マスコミ試写や劇場公開時になぜ観なかったんだろうと後悔するほど素晴らしい作品だった。映画館の大きなスクリーンで、いい音響で観たら、さらに感動も増したんだろうなと今さらながら思った。その後、BSやCSでも放送されたが、地上波で放送されたという記憶は今のところない(もしかしたら地方やキー局の深夜で放送されたかもしれないが……)。テレビ放送用に作られた吹替版はなく、ソフト版ではグシュコフ=伊藤和晃、ロラン=甲斐田裕子、フランソワ・ベルレアン=小島敏彦、ミュウ・ミュウ=唐沢潤というボイスキャスト陣だった。その後、最近はリバイバル上映されることもなく、映画館で観られる機会は少なくなっているのがもったいない。
ロシアのボリショイ交響楽団で劇場清掃員として働くグシュコフ演じるアレクセイは、30年前、天才指揮者として知られていたが、国がユダヤ人排斥の政策を強行し、ユダヤ系の演奏家たちが排斥されることに反対したことから、解雇されてしまう。ある日、パリの劇場から届いた出演依頼のファックスを目にしたことから、彼は自分と同様に追放されていたかつての仲間を集め、ボリショイ交響楽団に成りすまし、パリで公演しようと計画を立てる。アレクセイはソリストにパリ在住のヴァイオリニスト、ロラン演じるアンヌ・マリーを指名し、何とか団員たちとパリに行き、いよいよコンサートの日が近づくというのが主なストーリーの流れだ。映画の半分はかつての仲間たちを集め、パリに行くためにあらゆる手を使って何とかパリにやってきて騒動が巻き起こるというコメディーな展開だが、中盤にアレクセイとアンヌ・マリーが会った時点から次第にコメディーからシリアスというか、人間ドラマへと少しづつシフトしていく。ふたりがレストランで食事をしているとき、アレクセイがアンヌ・マリーに話を聞かせるセリフ、ミュウ・ミュウ演じるマネージャーのギレーヌが楽譜をアンヌ・マリーに渡して読ませるシーンがクライマックスへの伏線として効いてくる。最大の見どころはクライマックスで演奏されるチャイコフスキーの「ヴァイオリン協奏曲」で、演奏とアンヌ・マリーの過去が同時進行し、演奏の最後までに楽団の未来をも描写し、演奏が終わると同時に映画も終わるという潔さで、演奏し終わった後に、アンヌ・マリーが流す美しい涙に、もう心揺さぶれらずにはいられない。そんなあり得ないとか、嘘だろうとか、言ってしまうのは簡単だが、映画だからこその嘘、映画だからこそできる魔法が、この映画のクライマックスには存在している。それほど、チャイコフスキーの「ヴァイオリン協奏曲」の効果は絶大で、やられたよもう、と素直に感動した方が得だと思う。
今作の「ヴァイオリン協奏曲」のように、音楽が効果的に使われている作品は他にもある。クライマックスでキーとなる人物の過去がメインの音楽に乗せて同時進行するという点では野村芳太郎監督の『砂の器』、偶然にも『オーケストラ!』と同様に「ヴァイオリン協奏曲」が流れる中で主人公の少年の過去が同時進行する構成はチェン・カイコー監督の『北京ヴァイオリン』との共通点がある。もし、機会があったら、『砂の器』と『北京ヴァイオリン』を観てみてはいかがだろうか。そういう視点で観ると、さらに興味深くなるのではないかと思う。そして今回、『オーケストラ!』を久々に観直して思ったことがある。筆者は音楽が効果的に使われる映画に弱く、恥ずかしながら、すぐに涙腺が緩んでしまうということだ。