仏教に学ぶ生き方、考え方「多生の縁」
乗り物に乗っていると隣の人が「妙に当たってくること」はありませんか?
本人は「気づいているのかいないのか?」「わざとなのかどうなのか?」などと気に揉むものです。
でもそうやっていても、ひょんなことから話しかけられて話してみると、「とってもいい感じの人」だったりします。
そして、ただ単に気づいていないだけなのだと分かるのです。
これが「袖触れ合うも多生の縁」なのかもしれません。
「多生」は少しだけの「多少」ではなく今までの生死を繰り返す中でいろいろな関係で出会ってきた仲だということです。
つまり偶然に出会っているわけではなく、「今まで沢山出逢ってきている人なんだ」「ちゃんと縁のある人なのだ」と思って付き合いなさいよという意味です。
そう考えると、「ちょっとした誤解」で「イライラする」ことほど、無駄なことはないと思えてくるのです。
☆今日の一句☆
ご縁です
触れ合う袖は
ないけれど
(※諺を現代風にアレンジしました。)