仏教に学ぶ生き方、考え方「朝起きるのが辛いあなたへ」
暑すぎた夏がようやく終わりを迎えて、朝夕は「かなり」涼しくなってきました。
あれだけ酷使した「扇風機」も、ここ数日は止まったままになっております。
そして、朝起きるのが少しずつ「辛く感じる」季節になりつつあります。
「目覚まし」を何回も鳴らしては、その都度止めて、、、ということを繰り返している人も多いのではないでしょうか?
また幸せな睡眠から、現実の学校や会社に「引き戻される」ような気持ちになる方もいるかもしれません。
また「独り」という現実を突きつけられる起床に、「憂鬱な気分」を抱いている方も見えるでしょう。
そんな時、この気持ちをどう考えていけばいいのでしょう?
真宗の教えに「見真」(けんしん)があります。
これは読んで字の如く、「真実を見ましょう」ということです。
実は「見真」は親鸞聖人が天皇からいただいた称号にもなっているのです。
伝教大師(最澄)、弘法大師(空海)のように開祖の方には称号が与えられます。
親鸞聖人は明治天皇から「見真大師」の称号を頂いたのです。
今、「あれっ?」と思った方も多いと思います。
鎌倉時代の方にどうして「明治天皇」から称号が贈られるのか。
実は親鸞聖人は明治になるまで称号をいただけなかった「歴史的な経緯」があります。
話を戻すと、「見るべき真実」とは一体何なのでしょう?
それはこの世は様々な煩悩によって、たくさんの「思い通りにならないことがある」ということです。
「休みたいのに休めない」、行きたくないところに「行かねばならない」、会いたくない人と「会わなければならない」、家族と一緒にいたいのに、様々な事情で「一人暮らし」をしているなど。
それは普段は忘れたり紛れたりしていますが、朝起きるときのまっさらな頭にいきなり「突きつけられる」真実なのです。
でも逆に、まっさらな頭でそのままを受け止め、辛い、悲しいなどと、あれこれ考えずに「そのまま受け止めていく」ということもできるはず。
この姿勢が「見真」につながるのだと思っています。
☆今日の一句☆
真実を
そのまま見ていく
真宗なり