仏教に学ぶ生き方、考え方「御朱印の意味するもの」
最近は御朱印を集めてみえる方が多くなりました。
ここのお寺や神社に参詣した「証」として拝受される方がほとんどだと思いますが、中には「スタンプラリー」のような感覚で、足早に「次のお寺」に向かう人もいるとかいないとか。
ではなぜ御朱印を集めようと思うのでしょう?
言うまでもなく、御朱印はそこに「行かないと」もらえません。
中には「ネットオークションで売り買い」までされているようですが、ちょっと考えればそれは「意味のないこと」だと気づくはずです。
そもそも、御朱印とは「そのとき、その場所」にいて「感じたこと、気づいたこと、想ったこと」を忘れずに持ち続けるためのものです。
もっと言うなら、お寺や神社で法話を聴いたり、お荘厳を眺めたりして、感じたことを思い起こす「手がかり」みたいなものでしょうか。
そしてそれこそが「生きる意味」や「苦しみへの解決」につながる「財産」になるわけです。
逆に御朱印をいくら集めても、そこから「想いや生き方」を感じなければ、それは意味あるものになるのでしょうか?
そこで皆さんに「提案」です。
もし、御朱印を拝受することがあれば、その時の心持ちを「note」に書き綴るのはいかがでしょうか?
その投稿はもしかしたら「誰かの心」を前向きに動かす「原動力」になるかもしれません。
☆今日の一句☆
春来たり
御朱印いただく
ご参詣