ほとけさまのおしえ「中の下」
葬儀や年回法要があると、時には「たくさんの人」が集まります。
その前でお勤めすることは意外と「緊張する」ものです。
特に久しく間が空いたりすると、いつもの御経や偈文も「より慎重に」お唱えする事になります。
そしてちょっと躓いたり、抜けたりするととたんに「緊張」が高まります。
いくら僧侶とはいえ、凡夫の我が身はやはり「人からどう思われるのか」を気にするものです。
そしてなるべくしっかりと間違わずに式を進行し、心に響くご法話をして差し上げたいと「張り切って」しまいます。
でも一方でそう思えば思うほど、慢心が高まり、我心が表に出てしまうものです。
そんな時はこう思うようにしています。
それは「中の下」でいようと思うことです。
全国にたくさんの僧侶がおられ、その数は「人口千人当たり三人ほど」だと言われております。
中には流暢にお勤めされ、作法も整い、法話もじんわりと心に響く方もお見えになるでしょう。
でもそれを目指し心がけると慢心が高まり、かえって「力が入ってしまう」のです。
なので「中の下」か「下の中」くらいを目指すのが自分にはふさわしいのかなと思うのです。
そしてそう思うことで不思議と「余計な力」が抜け、人の眼が気にならなくなります。
自分はどう思われてもいい、自分なりに心を込めてお勤めしよう。
そういう「無我の心持ち」が、心安らかにしてくれるのだと感じております。
☆今日の一句☆
慢心を
無我の心に
するゆとり