ほとけさまのおしえ「あの夏の日」
今日は八月六日です。
今まで様々な「八月六日」があったでしょうが、やはりあの夏の日の八月六日に「特別な想い」をお持ちの方も多いのではないでしょうか?
私の住んている地域は広島からは遠く離れております。
そして広島やその近くに親戚や知り合いが住んでいるということもありません。
でも私はこの日の出来事に「特別な想い」を持っております。
以前にもお話しましたが、先代でもある私の父は、学徒動員で若干「十六歳」で徴兵されました。
そして広島の「呉」に派兵されたのです。
そして呉の軍港を敵機から守るために設けられた山頂の砲台に、砲弾を運び上げる仕事をしておりました。
七月に広島を通って呉に入り、数ヶ月後には別の戦地に赴くことになっていた父はあの日、呉の砲台で「巨大な火の玉」を目撃することになります。
当日の朝早くから砲弾を運び上げるために山道を上っていた父は、山頂付近で八時十五分を迎えます。
その瞬間辺りが白く明るくなり、背中に「熱い熱線」を感じた父はすぐにその場に伏せて防御姿勢をとります。
ところがしばらく経ってもなにも起こらないので、そっと起き上がり広島市街のほうを見通すと、「赤い巨大な球」がどんどん大きく高くなっていくのが見えたそうです。
当時はそれが何であるかも知らされず、市内が大変なことになっていることも知りえませんでした。
ほどなく終戦を迎え、復員切符をもらって帰るときに広島を通り、その惨状を目の当たりにして「絶句」したそうです。
もし、広島やその他の戦地で父が命を終えていれば、当然今の自分も生まれてこなかったわけです。
そして私は今ここにこうして命を授けられている。
私は生きているようでも、実は大きな何かによって生かされている。
八月六日は、私にとってその重みをとても思い知らされる一日なのです。
そしてこの先「命を授けられる」であろう子どもたちのためにも、今あるすべての命を大切に想っていきたいと思うのです。
☆今日の一句☆
我らみな
歴史に生かされ
今ここに