仏教に学ぶ生き方、考え方「もがくということ」
突然ですが、いつもお読みいただきありがとうございます。
そして「スキボタン」や「コメント」もたくさんいただいていること、感謝申し上げます。
そんな私の投稿を読み返すと、いつも「偉そうなことばかり」申しているなと反省しております。
そして今から言うことも「偉そう」に聞こえるかもしれません。
でもそういう気持ちは「全く」ございませんので、どうぞお許しください。
「前置き」が長くなりました。
今日から「三連休」という方も多いと思います。
夏のはじめの三連休ということで、昼過ぎのプールも「激混み」でした。
そしてこの夏「初めて」泳ぐような雰囲気の方も沢山おられます。
その中で「速く泳ぐレーン」を泳いでいると、なぜか負けじと飛沫をあげて「スピード」を出したり、「センターライン」をオーバーしてきたりする方もおられます。
その方の泳ぎを拝見すると「一生懸命泳ぐと速くなる」と思われているようで、「手足」を激しく動かしております。
てもその様子は失礼ですが「もがいている」ように見えてしまいます。
仏教の大切な視点として、「慈悲と智慧」がございます。
そのどちらも大切なのですが、なぜか「慈悲の心持ち」が大きく取り上げられます。
慈悲の象徴である「観音様」が御本尊の寺院は数多くありますが、智慧の象徴である「勢至様」が御本尊のところは「二十三夜寺」や「知恩院勢至堂」くらいしか知りません。
でも智慧は実はとても「大切なもの」だと思うのです。
よく「苦しみもがく」と表現されますが、水の中でどのように泳ぐか知っていさえすれば、「無駄な力」を使って「一生懸命」にならなくでもいいのです。
人生も同じように苦しみの「なんたるか」を知り、楽しく生きる「術」を知っていれば、もがき苦しむこともありません。
そして仏教にはそういう智慧が「ふんだんに」盛り込まれており、誰でも「丸もらい」できるのです。
☆今日の一句☆
難度海
智慧の大船
進みゆく