ほとけさまのおしえ「離れゆく者」
「兵庫県知事選挙」が終わりました。
斎藤元知事が様々な疑惑をかけられて失職した後で行われた知事選に、再出馬するという異例の事態もさておき、そこで「再選を果たす」というなんともドラマチックな展開になりました。
今まで元知事の疑惑を大々的に報じてきたマスコミは、今度は挙って民意を得た斎藤さんの軌跡を放映しております。
今回の選挙は、ネットメディアと既存のメディアの攻防と問題提起がされております。
でもここからは私見になりますが、「実はそうではないのでは?」とも感じております。
というのも今回のことで変わらなかったことが一つあると思うからです。
それは斎藤元彦さんの県政に対する想いとビジョンです。
そして変わったのは「周りの人の捉え方、見方だったのではないか?」と思っております。
本当に大切なものが何かを分かっていれば、たとえ「離れゆく人」がいたとしても変わらないはずです。
信じるものがあれば、人が自分をどう思おうがそれは大したことではない。
そんな想いをネットメディアが取り上げ、既存のメディアが取り上げなかっただけのことではないかと思うのです。
親鸞聖人が「承元の法難」で越後に流罪になったとき、きっと辛く悲しい気持ちだったことと思います。
きっと多くの人が「離れて」いき、数人で越後への長い旅路を歩まれたことでしょう。
それでも信心を絶やすことなく、むしろ「これで念仏の教えを未だ出会っていない方にも勧められる」と喜んだと言われております。
斎藤元知事の勝利の挨拶の後ろには大きく「信念」と書かれた文字が掲げられておりました。
自分を信じ、心を今において日々コツコツとできることに取り組んでいく。
そういう生き方に「賛同と信頼」は集まってくるのだということを、今一度思い知らされた出来事でした。
☆今日の一句☆
知事はゆく
信じ歩める
姿見せ