仏教に学ぶ生き方、考え方「この世で浮いているということ」
八月後半は、旅行や法要でなかなか行けていなかった「プール」ですが、九月になりまた行き始めています。
半年の「プール定期券」がこの十九日までなので、なるべく泳ぎに行くように心がけているのです。
そして泳ぎのほうはというと、すっかり「力が抜けて」しまっています。
気力も以前のように学ぼうという姿勢ではありませんし、速く泳ぐことも全く目指していません。
よく「泳ぐ距離」を目標にする人も見かけますが、私の場合は泳いでは休みを繰り返し、「浸かっている時間」のほうが長いくらいです。
そして練習レーンでは「伏し浮きの練習」を念入りにするのです。
伏し浮きは、ちょうど万歳の姿勢で足先まで伸ばし「じっとしている」だけです。
そしてゆっくりと「惰性で進む」のを、動かずに待つのです。
それを練習していると「三回」のキックやジャンプで二十五メートルを移動できるようになってきました。
じっとしているだけですが、殊の外「体幹の筋肉」を使います。
水という掴まりどころのない流体に体を預けるのですから、実は「じっとするのは大変」です。
そしてついつい「手や足」を動かしてしまいます。
その結果、動かせば動かすほど抵抗になり「失速」するのです。
プールから人生を学ぶことがあるとしたら、「まずはじっと浮いていなさい」ということなのかも知れません。
そうすれば、「惰性や水の流れ」で進むこともできます。
逆に手足を動かして「進もう」とすればするほど、「沈んでいく」こともあるのではと感じています。
仏教の「忍辱」の教えは、この世を浮き続けるための大切な教えなのかもしれません。
☆今日の一句☆
伏して浮く
身体任せて
耐え忍び