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早稲田の自己推薦入試に落ちた話

私が目指していた早稲田大学の社会科学部には「自己推薦入試枠」がありました。(注・30年前の話です)
自分で自分を推薦!?
一般入試受けなくていいの!? やった! いいじゃん!

以下、2021年早稲田のHPより自己推薦入試について。

出身学校(長)からの推薦を必要とせず、高等学校または中等教育学校後期課程在学中の様々な活動歴をもとに、「自分自身を社会科学部に推薦する」入試制度です。勉学に励みつつも、それ以外の何かにも取り組んできた人、いわゆる受験勉強に力点をおいてきた人とは一風異なった「+αの個性」を持つ人を対象としています。”個性”を評価するとともに、その名のとおり”地域性”を重視し、全国から幅広い人材を歓迎しています。

自分を推薦するためには「推薦できる何か」がなければいけません。
例えば、スポーツで全国優勝した!とか、こういう一芸に秀でている!とか、誰もが「おお、すごいね!」という何かです。

…何もないな、私(・ω・)


とはいえ、早稲田に入れる可能性があるのなら何でもチャレンジしてみたいと思って、進路指導の先生に相談してみたら、

「んー、早稲田の自己推薦かぁ。…おまえは…難しいかもしれんけど、試しに出願してみるか」

というわけで、厚かましいにもほどがある、って感じですが自己推薦に挑戦してみることにしました。

当然ですが、

「何をアピールすればいいの、私?」状態です。

困り果てて、進路の先生と作戦会議。
当時、勉強の成績は校内トップ10内、部活では県でベスト8に入るバスケ部のキャプテンをやっている、等々…他にも、先生があれこれ考えてくれましたが、どう考えても…

そんなレベルの人、日本中にいっぱいいるやろーー!!!
こんなんで受かったら苦労せんわ!

という感じなのです。

先生と作戦会議しながら、内心「こんな内容の願書出したって受かるわけないじゃないか、アホか」(←いや、そもそも、おまえがアピールポイントないくせに受けるっていうからだろ、って感じなんですけど)

と、思いながら、私はひらめいたのです。
あ、そうだ! こういうのどうだろう?

「私、悪魔なんです。
 早稲田大学は悪魔の集団、聖飢魔IIを輩出しましたよね。私は悪魔なので彼らの後輩にならないといけないんです。いや、なるべきなんです。ぜひとも早稲田に入れてください♪」

…いや…でも、進路調査票で志望理由に「聖飢魔IIの後輩になりたいため」って書いて、進路の先生に怒られた経緯があるので…こんなこと言ったら、

「おまえ、まだそんなこと言いよんのか! 馬鹿たれが! 真面目にやれ!!!」

って絶対怒られるよなぁ。

と、さすがの私もこの時ばかりは常識感が勝ってしまい、言えなかったのです。
それに、大人(進路の先生)がちゃんとした方が、ひょっとしたら受かる可能性があるのかもしれない。だって、大人の方が経験豊富なんだから。

結果、ほとんど先生の言うがままに書いた、何一つ目を引くものがない願書を提出して、あっさり自己推薦は落ちました。


落ちた時は、悲しいとか残念とかいう気持ちはゼロでした。
やっぱりな、としか思いませんでした。

でも。

とってもとっても後悔したんです!

あーあ。あんな平々凡々な自己アピール願書出すより、「私は悪魔です」って自己推薦受けてみたかったなー。
(受かっても受からなくても)

ものすごく心のモヤモヤがとまらないんです。

「私、悪魔です」とアピールして落ちたとしても、その方が清々しいし面白い。万が一、何かの間違いで受かったとしたら、それはそれで大ラッキー。今の私だったら間違いなくそっちを選びますが、当時はそこまで思えなかったのです。

進路の先生は入試のプロで、自分より入試について詳しいんだから、先生の言うことの方が正しいはずだ。分かってる人の言うことを聞いた方が自分が得するはずだ、と思ってしまったんですね。

…自分の気持ちに反した、つまらない損得勘定が働いたせいで、心がこんなにモヤモヤするとは。

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よく言いますよね。
人は亡くなる時に何を後悔するか。それは、

「自分の人生、こんな失敗をしてしまった」
「こんなとんでもないことをしてしまった」

と、行動した結果、失敗してしまったことよりも、

「あの時こうしていれば違う人生だったのではないか」
「若い頃、本当はこんなことをしたかった」
「なぜ自分は言い訳ばかりしてやらなかったのか」

やらなかった後悔をする、って。

自己推薦に落ちて、私は心に誓ったのです。

これからは絶対、自分のことは自分で決める。
失敗しても全部自分で引き受ける。

と。

私が今、後悔しない人生を送っているのは、ある意味、この進路の先生のおかげなんですよね。
他人の意見に乗っかって失敗したら、ホントに心の底から後悔するっていうことを経験しました。ほんとはこっちを選びたかったけど選ばなかった。あの時、反対されても(バカにされても?)思い切って選べばよかった。

あまりに心のモヤモヤが激しすぎたせいで、もー、こんな思いするのはヤダ。私の人生、後悔するのはこれで最初で最後にするっ!って思えたんです。

進路の先生、嫌いだったけど、感謝してます。

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それから30年以上経ちました。

おかげさまで、私、後悔することはありません。

何かを決断する時に人に意見を聞かないということではないです。自分とは違う意見も聞いた上で、なるほどーと思えば変えるし、私はそうは思わないなー、と思ったら、自分が考えた方を選ぶ。失敗しても「自分が決めたんだからしょうがない」って素直に思えますよね。

たまに興味本位で、もしこっちの道を行ってたらどんな人生になってたかなー?って想像してみることはあるけど、それは後悔とは違うんですよねー。


若い頃、友達の勧めで株を始めて、大損したことがあります。当時の私にとってはめまいがするぐらいの損失でした。アホでした。

でも、株を勧めてくれた友達に対して不満の気持ちは一切なかったです。授業料は高すぎたけど、自分は株取引に向いてないということがわかってよかった、と思いました。…でも…それにしても、やっぱり…授業料がちょっと高すぎたよな、とは思いました。大事なことなので2回言いました。

とにかく、この株の話みたいに私、人生山ほど色々失敗してるんですよ! 大きなモノから小さなモノまで恥ずかしいぐらいに。

そのたびに「わー(また)失敗したー」とは思います。でも自分の中で「なんでこんなことしちゃったんだろう…」とか「こーすればよかったのに…」っていう後悔の気持ちは起きないんですよね。

だって自分で失敗してもいいんだ! やる!って決めてやったんだもーん。

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まさり
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