縦の人権と横の人権

人権の概念を発展的に考察していくにあたり、人権の機能を大まかに縦と横に捉える見方を説明する。(ただしこれは、一般には理解されない表現と思われるので、あくまで参考として使われたい。)


法務省による人権の定義

「人権」の意味は文脈によるが、法務省の「人権尊重の理念に関する国民相互の理解を深めるための教育及び啓発に関する施策の総合的な推進に関する基本的事項について(答申)」というページでは以下のように定義されている。

人権とは,すべての人間が,人間の尊厳に基づいて持っている固有の権利である。人権は,社会を構成するすべての人々が個人としての生存と自由を確保し,社会において幸福な生活を営むために,欠かすことのできない権利であるが,それは人間固有の尊厳に由来する。

人権尊重の理念に関する国民相互の理解を深めるための教育及び啓発に関する施策の総合的な推進に関する基本的事項について(答申)

人権には縦と横の側面があると言える

人権の概念の歴史は、広く説明されているのでここでは繰り返さない。前述の法務省の定義の引用は国家権力に言及していないが、経緯としては、大雑把に言えば、国家権力から市民の自由や権利を守ること(自由権)が、最初の目的であった。次第に、社会で生活する上で必要な様々な権利(社会権)も含むように概念が発展してきた。

ここで、自由権のように、国家権力と個人との権利の関係を規定する側面を「縦の人権」と呼び、社会権のように、社会における権利や個人間の権利の関係を規定する側面を「横の人権」と呼ぶことにする。例えば差別など個人間での人権侵害や、公共の福祉との兼ね合いは、もっぱら横の人権に関する問題である。

どちらも重要である

日常生活においては、横の人権の方が身近で感覚的に理解しやすいと思われるが、どちらも等しく重要であって、どちらも欠けてはいけない。横の人権に関しては、反社会的な行為や人格から社会を守るために、これまで人権という言葉で表現されなかったあらゆる権利を、人権概念に翻訳して、人権を中心とした社会制度の実現を目指さなければならない。縦の人権に関して言えば、全ての国家が国際人権を尊重することが、より平和的で安定的な国際社会の構築に繋がることに、議論の余地はない。

「自由と義務」は縦で「権利と責任」は横である

人間と社会(と国家)の関係を考えるような文脈において、「自由」と「権利」(あるいは「義務」と「権利」)は似た意味を表すように思える。「自由」は「権利」の特別な一形態と考えられなくもない。「自由」とは無条件に与えられる「権利」であるといえる。同様に、「義務」とは無条件に課される「責任」である。

全ての人は等しく人権を持ち、人と人は必ず平等で対等であるから、「自由」あるいは「義務」という言葉で二人の人の関係を表すのは不自然である。「自由」と「義務」は、縦の人権、つまり人と国家権力との間の関係を表すための概念であると考えられる。一方「権利」と「責任」は、縦にも使えるかもしれないが、横の関係に使う方が自然である。

優先順位も重要である

「自由」という言葉は力強く、絶対に不可侵であるように聞こえるかもしれないが、現実には、「他者の権利を侵害しない限り」、という条件が伴う。例えば「表現の自由」「信教の自由」は、国家権力からの自由を保障すると同時に、他者から強制されない意味も含むが、当然ながら他者の人権(公共の福祉)が優先する。権利や責任を考える状況では、常に優先順位を見失わないことが重要である。

反社会的勢力は、言論において優先順位を歪曲して主張する。国民より国家を優先し、責任より権利を優先する。反社会的な人格がそのまま勢力となり国家となり、破壊的で暴力的で反平和的な性質を帯びる。弱者から搾取し、自然を破壊し、戦争を肯定する。放棄された責任は、弱者や自然や未来に委ねられる。

反社会や反正義と戦うためには、権利と責任、国民と国家、人権の方向、優先順位などを把握することが必要である。

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