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深い痛みは取れないけどそんな悲しい目をしないで

今日、8月3日は、「はちみつの日」だそうです。
8(はち)、3(みっつ)で、はちみつ。

昨日でも良さそうな気が(私には)しますね。
8(は)、2(にー)で。

転がっていく道で

人生を生きていると、程度の多寡こそありますが、大なり小なり体は悪くなっていきます。

とは言え私の場合は、老害どもの不健康自慢とは違います。(以下の記事に詳述しています。)

少しいかれただけさ

血を吐いたことさえない老害の愚物ども如きが、この私に対してさえ知ったような口をきくのは、きけるのは、愚かな証拠なんです。

二度と知ったような口をきくな、と思います。

今でこそ「内臓が少しいかれただけ」と言えますが、無理をして言ってきただけ。
私が元気そうに見えるのは、私がそうなるようにしてきたから。

私の体は、私が無理矢理回復させたものです。

そんな私に、そんな私本人その人に、老害如きが知ったような口をきいてはいけません。

深い痛みは取れないけど

今はもう治ったんだったら言っても良いだろう、という老害もいくらでもいました。

二度と口を開かないで欲しいと思います。

「内臓が少しいかれただけ」と言っています。
内臓の完治なんてしていないのです。

「病院に行ったらどうなんだ。」
「病は気からという言葉がある。」

老害がよくそんなもん言えるな、と思います。
まず、老害が耳鼻科で聴力を治すべきです。

聴力か理解力、または、両方を欠いているから、知ったような口をきくのです。

愚物が賢しらぶるなと思います。

そんな悲しい目をしないで

病人は「いかにも病人です」と悲壮感を漂わせる必要なんて無いんです。
無理矢理元気なふりをしても構わないんです。

吐血は、とても苦しいし辛かったです。
けれども、悲しそうな、苦しそうな、辛そうな、そんな人間でいないといけないわけがない。

何故、老害どもの理解力の欠如に合わせなければいけないのか。
何故、老害どもにわかりやすい状態を装わないといけないのか。

「病は気から」と老害が本当に思っているなら、それこそ元気なふりぐらいさせろと思います。
元気なふりから元気になることもありますから。

ただ、「元気なふりをしなければならない」と、老害どもが無理強いするのはいけません。

元気なふりは、本人がしたい時に、本人がしたいように、本人がしたい範囲内で、する。
他人がどうこう言うことではないのです。

元気はやる気のようなものです。

元気とやる気は出しながら出す。
他人に無理強いされたらなくなる。

人様の内臓も知らずに知ったような口をきいては絶対にいけないのです。

ただ、元気なふりをする義務は全くないですが、元気なふりをする権利は誰にでもあります。

そんな悲しい目をしないで。

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