等(など)の一文字で誤魔化す行政9
等(など)の一文字で誤魔化す行政について、続きを述べます。
今回は「障がい者等」です。
私が特に強く思うことは、以下の二点。
「障害者」と「障がい者」と「障碍者」。
「障がい者等」の等には何が入るか。
この二点です。
前回、前段を述べました。今回は後段です。
グレーゾーンの人
「障がい者等」の等には何が入るかについては、グレーゾーンの人や保護者等が入ります。
グレーゾーンの人というのは、障がいがあるとは判定されていないが疑わしいとされる人です。
障がい者手帳を持っていないが、軽度の障がいを疑われる人がグレーゾーンとされています。
障碍がブラック、健常がホワイト、間がグレー、というのは、そもそもナンセンスです。
ですが、手帳も無い、年金も無い、制度の狭間の軽度障碍の人々が存在するのも現実です。
「等」でグレーゾーンの人々も対象にするのは、包括的な、包摂的な社会が実現するまでの、移行措置として仕方ないかな、とは思います。
けれども「とにかく等に含まれます。」として、グレーゾーンの人々に対して見て見ぬふりをするような、事なかれ主義の公務員に対しては、強い嫌悪を感じます。
保護者等
保護者等の等は、兄弟姉妹等の親族です。
兄弟姉妹の他には、祖父母、伯父、叔父、伯母、叔母、甥、姪、このあたりが等です。
「保護者」は、障害者の場合、制度上の文言で、厳密に用いられます。
保育士等や教職員等が口癖とする「保護者」は、父兄の代替に過ぎないものですが、障害者の場合には定義があります。
近年は、障碍者の兄弟姉妹が「きょうだい児」と呼ばれています。
従前には注目されていなかった存在に注目するという意味では一歩前進だと思います。
けれども私はこの呼称が適切だと思いません。
障碍者も兄弟姉妹も大人になるからです。
障碍児の兄弟姉妹だから「きょうだい児」というのは、安直です。
「きょうだい」や「きょうだい当事者」のほうが、呼称として適切であると思います。
勿論、平仮名にしただけで、何らかの意味合いを持たせる、というのもナンセンスです。
当事者の会が決めるのが適切だと思います。
障碍者も成人したら大人である
私が苛立つのは、等がメインになっていないか、ということです。
行政が、「障がい者等」のQOL(生活の質)向上を目的とする時には、ほぼ必ず、保護者等満足度のほうが先にきます。
障碍者本人の満足度が先なんじゃないですかね。
学校の公務員が保護者等を接待しているように、福祉の公務員も保護者等を接待している。
誰のための学校、誰のための福祉ですかね。
特に、知的障碍や発達障碍はそれが顕著です。
成人した知的障碍者に対し「何々(施設名)の子」と言ってしまうのは、失言です。
大人は子どもでは無い。
障碍者御本人に対して失礼なのです。
教育と福祉の連携。
学校から施設への円滑な移行。
それは障碍児をいつまでも障碍児にしておくことではありません。
成人した施設利用者や福祉就労者は大人です。
知的障碍者も成人したら大人であるのだ、という基礎基本を欠いてはならないのです。
首長、議員、行政職員は、教員では無いのです。
大人は子どもでは無い。
障碍の有無によって大人を子ども扱いするのは、ただの差別なんです。