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読書は「楽しみではない」けれども「読書できない状態」は「苦しみ」

前回は、読書は趣味なのか、私見を述べました。

読書は「食事そのもの」と同様である

私は読書を「食事そのもの」と同様であるという位置付けにして捉えています。
ゆえに、趣味は「楽しみとしてやるもの」なので「読書は趣味ではない」となります。

楽しいとか楽しくないとかで読んでいません。
楽しくなかったら読まないという話にはならないものです。食事と同様ですから。

「読書できない状態」は「苦しみ」です。
空腹に耐えかねるような苦しみ。
それが「読書できない状態」です。

読書をして楽しみで上書きする、ということでもないのです。
大して楽しくない書籍であろうと、別に良い。
空腹を解消するため小腹を満たすようなものでも構わないのです。

何も食べないのが苦しみであるように。
何も読めないのは苦しみです。
美味かろうが不味かろうが、食事は食事。
楽しくても楽しくなくても、読書は読書。

それぐらい「本が読めない状態」は「苦しみ」だということなんです。

苦しい状態の人間が過半数

そんな苦しい状態の人間が過半数なんです。
私には意味がわかりません。

電子書籍を含めてゼロ冊が62.6%なんです。

これは私には理解しかねる話です。

本が読めないなんて。
そんな過酷で悲惨な状況に置かれているなんて。
なんて可哀想な話なんだ、と思いました。

私は「本が読めない」をセルフネグレクトの一種だと思っています。

上記拙稿より筆者引用。

国民の過半数がセルフネグレクトをしているのは何故なのか。

読書は食事と同様なので、断食と同様です。
何故、過半数もの国民が、自らそこまでの苦行に至るのか。

イスラムの断食月でさえ日没後は食事をします。
月にゼロ冊とは、断食月をこえる苦行なのです。

そして、苦行ならば仏教的な意義がありますが、「読書できない」には意義がありません。

文化庁の質問項目が悪い

私は、文化庁の質問項目が悪いと思います。

パワハラのダメージで「読めない」のか。
元々読書が嫌いな人で「読まない」のか。

そこは大きく違ってくるはずです。

けれども文化庁は「読めない」と「読まない」の差がわかる質問項目にしていません。
主たる質問の場合には経年変化を見るとしても、付問にさえないのです。

これではわかりようがありません。
どうすれば良いのでしょうか。

本来、読書好きも読書嫌いもないはずです。
好きなものを読めば良いわけですから。
嫌いなものを無理に読まさせられることなんて、中々ありません。

けれども、読書嫌いは何故か好きなものを読まず「それよりも何々(酒やゲーム)」と言います。
どう理解すれば良いものなのでしょうか。

私には中々わかりにくいことですね。

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