
令和の米不足から考える月見団子の話
もうすぐ中秋の名月です。(2024年は9月17日)
私はもう中秋の名月とは呼びたくありません。
晩夏の名月で十分です。
けれども、何の名月と呼ぶかはともかくとして、月見団子のニュースを見かけました。
この中で私が注目したのは、団子より白米です。
白米と団子
上記リンクにはこうあります。
十五夜の時期はコメの収穫直前の端境期(はざかいき)にあたり、お櫃(ひつ)の底には欠け米が混じった古米が溜まってきます。それをふるいで通して、粒米はご飯として炊き、欠け米は粉にして団子にして供えたのではないかという説があります。
解説は歳時記×食文化研究所代表の北野智子さん。
例年であれば「そうなんだ」で済ませていたことでも、今年は一味違いますね。
新米が並び始める直前まで、「令和の米不足か」「令和の米騒動か」と言われていました。
けれども、例年、古米を団子にして食べる時期が名月の頃である、ということなんですね。
(例年と言っても江戸時代からですが。)
一説には、十五夜の満月にちなんで、これら丸い形の作物を供えたとも伝わっており、十五夜のお月見に団子を供えるようになったのは、江戸時代に入ってからといわれています。
里芋と団子
室町時代には団子でなく里芋なのです。
それまでは、十五夜には里芋、十三夜(旧暦9月13日の夜、2024年は10月15日)には豆が供えられていたようです。そのため、十五夜には『芋名月』、十三夜には『豆名月』という別名があります。月見団子が丸いのは、里芋をかたどったからともいわれています。
芋名月は「日本一の芋煮会」の直後にありますが「芋名月」と「芋煮会」との関係は不明です。
芋煮会の発端は、里芋を厳冬期には保存できないための一斉消費だとされています。
ゆえに東北で見られるのです。
けれども、時代を超えて、形を変えて、芋名月のこの季節に里芋を消費する文化が復活したということは、偶然にしては出来過ぎた話ですね。
団子は代替品であった
現在、芋といえばジャガイモかサツマイモです。
けれども本来、芋といえば里芋や山芋です。
月見団子は元々、芋名月の芋の代替品です。
ゆえに、里芋のように丸い。
そして、山芋のように白い。
そして、団子は白米の代替品でもあるのです。
新米が出回る直前に古米を買い占めてしまう人が出ていたようです。けれども、芋や団子を食べて待てば良いのです。
慌ててもしょうがないですからね。