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読書離れの人間(ゼロ冊の人間)は揃いも揃って「本なんて」「本なんか」と言う

前々回、前回に引き続き、読書離れを読み解いていこうと思います。

ゼロ冊の人間は「本なんて」と言う

前々回、前回とコメントや記事を拝読していて、気づいたことがあります。

ゼロ冊の人間は「本なんて」と言うことです。

これはkashiwaさんの上司に限った話ではなくて、私にも心当たりがあります。
何故か揃いも揃って「本なんて」と言うのです。

「本なんて」読まない。
「本なんて」読まなくてもわかる。
「本なんて」読んでいても無駄である。

こういうことを言うわけです。

これが「本なんて」読んでいる暇がない、だと、まだ時間的制約に過ぎません。
(本当は時間的制約でなく心理的制約ですが。)

ただ、ゼロ冊の人間は承認欲求や自己愛性の権化であることが多く、「本なんて」「読まなくてもわかる」と言い張ることが多いですね。

そういうゼロ冊の人間は自己愛性の権化なので、自己の情報収集能力に対して、過剰かつ肥大した自己認識を有しているからです。

ゼロ冊の人間は「本なんか」と言う

もう一つ思い当たるのは「本なんか」です。

「本なんか」読まない。
「本なんか」読まなくてもわかる。
「本なんか」より大事なことがある。

こういうことを言うわけです。

「本なんて」と同様に、「本なんか」も、何故か揃いも揃って、ゼロ冊の人間は言っている傾向があります。

「本なんて」と違い、「本なんか」という言葉は「本なんかより」に派生しますから、もう一回り厄介なところがあります。

「本なんて」は、本の価値を貶める言葉です。
「本なんかより」は、本の価値を貶め、その上でさらに、別のものを褒める言葉です。

これがタチの悪い話なのです。

「本なんかより」何々

「本なんかより」何々。

この何々に何が入るのかは、ゼロ冊の人間により異なります。

すぐに思いつくのは酒です。
「本なんて読まないおじさん」の数が多く目立つからです。

昭和型の労働慣行や昭和型の出世街道、或いは、昭和型の男女別管理職割合で、中高年男性の数が多いため「本なんて読まないおじさん」も目立つことになります。

「本なんて読まないおじさん」だとほぼ酒です。
「違う!呑みにけーしょんだ!」と取り繕っても酒なんです。

昭和の中高年男性は飲み会が大好きだったので、飲み会で利益を得ることがあったのです。

「本なんかより酒」とは表立っては言わないですけれども、「本なんかよりもっと大事なことが」と中高年男性が言い出したら、ほぼ酒です。

頭が昭和の中高年は、「一緒に酒を飲んだ仲」に過信がありますからね。
いつまでも頭が昭和なんだと思います。

「何々さんは本なんて読んでいない」

頭が昭和の中高年男性ほど目立ちはしませんが、女性でも「本なんかより」は生じます。

女性の場合には、酒に限らず多岐に渡ります。

「本なんかより美味しいものを食べたい。」
「本なんかより何々とかがしたい。」

ゼロ冊の人間により異なるのがわかりやすいのは女性のほうが多い気がします。

ただ、女性の「本なんかより」には、攻撃があることがあります。

「本なんかよりもっと大事なことがある」から、「何々さんは本なんて読んでいないけど何々で、どうたらこうたら」が始まることもあるのです。

それ、本とは関係がないでしょう。
読んだら出来なくなることじゃないでしょう。

私には全く意味がわからないことです。
何をごちゃごちゃ言っているのかと思います。

読書は食事と同一である

読書は食事と同一であるのです。

「食事なんて」だとか。
「食事なんか」だとか。
「食事なんかより」だとか。

食事だと理解できないでしょう。
なのに何故か、読書の場合にはあるのです。
要素だけで良いはずがないのにです。

ゼロ冊の人間の食事が液体と粉末だけだったら、可哀想ですが、可哀想なだけです。

ゼロ冊の人間が他人の食事に口出しをするのは、「何を言っているんだ」でしかありません。

勿論、栄養バランスの良い食事はあります。
けれども他人の食事に「そんなものより粉」とは言わないはずです。

食事と同様に、読書においてもそうあって欲しいものだと心の底から思います。

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