「ミシェル・フーコー――近代を裏から読む 重田園江」を読んで

フーコーは以前に一冊だけ読んだことがある。ちくま学芸文庫の「フーコーコレクション」の中の「性・真理」だった。もちろんのこと難解で記憶に残っていないが、所々でふと、合点がいくところがあって、また読んでみたいと思っていた。著者も言っている、

また、これとは別にフーコーの著述を集中して読んでいるときにも、彼の思考がとても近くに感じられるときがある。こういう場合に起こる独特の感覚、今までうまくつながっていなかった事柄がつながるとともに、自分の思考回路にフーコーが入り込んでくるような感覚が訪れた瞬間に、その思考をかたまりのまま一気に押さえ込んでゆければ、フーコーの核心に迫ることができるような気がする。

 この感覚はハイデガーの「存在と時間」を読んだときにも感じ、訳者を代えたりして、読み返すこととなった。

 この本で再度フーコーを読みたくなると思ったが、微妙なところだ。

著者のフーコー愛はとても熱く感じる。しかしフーコーの入門書という位置づけではない。フーコーの著作、とくに「監獄の誕生」を読んだが理解できなかった読者が概略を掴むためには適しているのかもしれないが、それはそれで「監獄の誕生」だけについて書かれているわけではないので、満足できるかは定かではない。

 だからこの本は、『監獄の誕生』についての本というより、その頃のフーコー、その後のフーコーが何を考え、なぜそう考えたのかを含めた、彼のものの見方や考え方、フーコーのスタイルを紹介する本といった方がよいだろう。

 私は著者がフーコーに抱いている以下の感じをそのままこの本にも感じた。

この本がフーコーについて語る本だったことを思い出し、もう少しだけ彼の主張につきあうことにしよう(フーコーを読むには、いつも愛と忍耐が大切だ)。
重田園江. ミシェル・フーコー 近代を裏から読む (Japanese Edition) (Kindle の位置No.1887-1888). Kindle 版.

 内容は分かりにくくはないのだが、

フーコーは次々にわれわれの「思い込み」に揺さぶりをかける
重田園江. ミシェル・フーコー 近代を裏から読む (Japanese Edition) (Kindle の位置No.933-934). Kindle 版.
フーコーがつねに心がけたのは、世の中で当たり前だと思われていることを、自分の著述に接した後ではとても当たり前とは思えなくさせることだった。フーコーは見えないものを見えるようにする(つまりは蒙を啓く)ことよりも、見えているものを違ったしかたで見せることを望んだ。それこそが、彼にとっての哲学という実践なのだ。
重田園江. ミシェル・フーコー 近代を裏から読む (Japanese Edition) (Kindle の位置No.172-176). Kindle 版.
ミシェル・フーコーはその生涯と著作活動を通じて、全精力を傾けて自らがこうした意味での価値転換の「きっかけ」になろうとしたのではないか。
重田園江. ミシェル・フーコー 近代を裏から読む (Japanese Edition) (Kindle の位置No.208-209). Kindle 版.

上記のような「揺さぶり」「きっかけ」がもっと欲しかった。

しかし著者の狙いは当たったのではないかと思う。

私はこの本で、複雑で難解な事柄を勝手に簡単な別のものに変えてしまわないで、それでも取り付くきっかけがあることを示したいと思った。それを通じて本書が、消費されるべくして消費される一冊ではなく、知られることは少ないが、これまでも書かれてきた「消費に抗う」書物、許しがたい事柄への抵抗を呼び覚ます書物の一冊となることを願っている。

 以下に気になったところの引用を載せておきます。

商品の生産と所有に価値を置く社会、そしてポリスの装置によって張り巡らされた監視網に囲まれた都市では、犯罪は綿密に計算されたプロの小規模集団による、人目を忍んだ商品や金銭の詐取を中心とするものになる。
重田園江. ミシェル・フーコー 近代を裏から読む (Japanese Edition) (Kindle の位置No.820-822). Kindle 版.
フーコーの考えでは、規律がうまく働いている場では、暴力に訴える必要はほとんどない。ところがスターリン体制の下では、暴力と死、法外な権力行使が日常化し、それが次第にエスカレートしてゆく「恐怖政治」が展開された。このことは、規律化がうまくいかないため従順でない不穏分子を抱え込み、暴力や死といった非常に効率の悪い方法(フーコーの言い方では、高くつくとともに危険な方法)でしか秩序を維持できなかったことを示している。
重田園江. ミシェル・フーコー 近代を裏から読む (Japanese Edition) (Kindle の位置No.1219-1223). Kindle 版.
規律というのは、ものすごくせこいが忍耐強く人間に働きかけ、ひとたびそれがうまく作動すると暴力や強制力をほとんど必要としない境地に至るのだ。
重田園江. ミシェル・フーコー 近代を裏から読む (Japanese Edition) (Kindle の位置No.1229-1230). Kindle 版.
フーコーはニーチェから「善良な人々のよき意図から出た道徳というストーリーを疑え」というメッセージを受け取る。
重田園江. ミシェル・フーコー 近代を裏から読む (Japanese Edition) (Kindle の位置No.1295-1296). Kindle 版.
 フーコーは軍隊と近代工場に共通する特徴として、集団を作ることで個々の要素の総和以上の力を引き出さねばならない点を挙げている。
重田園江. ミシェル・フーコー 近代を裏から読む (Japanese Edition) (Kindle の位置No.1370-1371). Kindle 版.
軍事的なものの軍事化というより、軍隊も含め、特定の空間における規律化だからだ。つまり近代社会とは、多種多様な集団を規律化する社会なのである。
重田園江. ミシェル・フーコー 近代を裏から読む (Japanese Edition) (Kindle の位置No.1378-1379). Kindle 版.
『監獄の誕生』が多くの人に訴えかけた理由の一つは、こうした閉鎖的で特殊な非日常空間における規律とは異なる、一般的で日常的な場面に広がる規律型の権力を、フーコーが描写したからだろう。
重田園江. ミシェル・フーコー 近代を裏から読む (Japanese Edition) (Kindle の位置No.1406-1407). Kindle 版.
つまり、主権の権力、王の至上権、生殺与奪の権利は、法の言葉を語り、法という装置を用いて行使されるのだ。したがってここでは、華々しい処刑の儀式をくり広げる身体刑の体系が、法を用いる権力と同一視されていることになる。
重田園江. ミシェル・フーコー 近代を裏から読む (Japanese Edition) (Kindle の位置No.1862-1864). Kindle 版.
つまり、監獄は刑罰としては、はじまりの時点から失敗を広く認識されながら、主要な刑罰の地位を長きにわたって保持しつづけてきたということだ。
 「 刑 罰 を 特 定 の 方 向 に 導 く こ と 自 体 、 政 治 闘 争 の 一 つ で あ る 」 と い う 、 社 会 的 な 権 力 関 係 を 刑 罰 と 結 び つ け る 理 解 で あ る ( こ こ に フ ー コ ー の 政 治 観 が 表 現 さ れ て も い る 。 政 治 は 綱 引 き 、 駆 け 引 き 、 闘 争 な の だ が 、 む き 出 し の 暴 力 で は な い 。 相 手 の 振 舞 い を 予 測 し て そ れ を あ る 方 向 に 誘 導 し よ う と す る 。 そ の 意 味 で 一 定 の 自 由 度 が 前 提 で 、 相 互 行 為 の 中 に の み 現 れ る ) 。
それどころか、犯罪と刑罰の歴史、道徳の歴史とは不正と欺瞞の歴史なのだ。この意味で、フーコーは『監獄の誕生』で彼にとっての「道徳の系譜学」を示してみせた。そのなかに読者は、自分が警察や安全安心パトロールに腹を立てる理由を発見することだってできるのだ。そしてもっとたくさんの人が、『監獄の誕生』やフーコーの意地悪で秩序転覆的な権力観に触れて、警察の仕事とは市民を監視することだという事実に気づき、また不快に思うべきことを不快に思いつづける力と元気をフーコーから引き出してほしいと願っている。

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