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すれちがい【エッセイ】六〇〇字

 早大エクステンション「エッセイ教室」秋講座。4回目のお題が、「すれちがい」(600字)。「いきちがい」とも違う、と師匠はおっしゃる。さて、「すれちがい」・・・?
 政治ネタを書かねば「筆が腐る」、五本に一本は。と言いながら、最近シリーズものでけっこう書いてきた。「またかよ~」とお思いの方もいらっしゃるだろう。しかし、(おまけ)もご用意。ま、つき合ってくだされ。(笑
 今回のお題でイメージするのは、軍拡派とそれに異を唱える私との「すれちがい」。国と国の「すれちがい」。最近の国際情勢に流されやすい国民の動きが散見されるので、やはり書かねばならぬ、だろう。
               ※
 戦争は、「事実」を主張し合って、「誤解」から始まる。人間関係と、同じように。
 直近のNHK世論調査で、防衛費の増額の賛否を聞いたところ、「賛成」が55%、「反対」が29%となった。最近のきな臭い国際情勢に影響された、結果なのだろう。
 「軍拡のジレンマ」。《永遠に競争し続けなければいけなくなり、単に他国よりも優位を保っているという相対的なものでしかない》という、限界を示す言葉。むしろ、「戦争の準備」をしていると、「口実」を与えるだけだ。
 増額理由の一つとして、前兆があれば攻撃するという「敵基地攻撃能力(姑息にも「反撃能力」と言い換えた)」の整備をあげる。北朝鮮のミサイル発射実験でさえ察知できていなくて、基地を特定できるのか? 誤認なら、「正当な理由」として、泥沼の戦争に突入することになるだろう。
 これまでの戦争は、「相手国が先に攻撃してきたから、仕方なく攻撃した」と、正当防衛を主張した。世界中に「防犯カメラ」があるわけでなく。証明するのは、不可能だ。
 過去、いや今も、「誤解」から始まり「口実」になっていった。そして、議論は平行線のままだ。
 安全保障に絶対はない。が、「誤解」を与えない姿勢が“絶対に”必要だ。日本国憲法前文と第九条の精神を世界に主張することが、日本の「使命」ではないのか。
 ニーチェは言う、「事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけである」と。 
 
 TOP画像は、イマヌエル・カントの『永遠平和のために』。高校時代に教わった通りに日本国憲法第九条や国連憲章の原典になったとされている。
 最終部は、「永遠平和は空虚な理念ではなく、われわれに課せられた“使命”である」というフレーズで終わっている。

(おまけ)

 本日の朝日新聞朝刊「声」に、こんな投稿があった。「避難施設の充実」については、全くの同感。いや防衛費の全てを、いやDNP2%と言わず10%でも防衛費にしても良い。全面的に賛成する。核ミサイルだけでなく、攻撃されたら、その「予兆」があったらすぐに隠れる。「どんどん、撃ってきて」と言ってやれる。平時は、水害、地震・津波への防災・災害対策にもなる。人類の地球脱出後の居住空間の研究にもつながる。軍需産業も参画できれば喜ぶだろう。最大の経済対策だ。巨額な投資と、時間を要しても目指す価値はあるのではないか。
野党よ、政策の骨格にしてはどうか。

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