誤解Ⅱ【エッセイ】八〇〇字
夜書いたラブレター(今では死語?)は、そのまま投函するな。朝に必ず見直しなさい」と、高校の教科書の随筆にあったような。夜に書いた文章は、感傷的で、感情が入りすぎ、相手は白けてしまうということ、らしい。
ワタクシの(きわめて少ない)経験で恐縮だけど、熱くなればなるほど、逃げられる可能性が高かったし、逆に冷めていれば、追いかけられることも(たまあには)あった。
多和田葉子さんが、『言葉と歩く日記』で、推敲作業について、こう書いている。
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一晩寝かせておいて翌朝、昨日書いたことはなにもかも忘れた頭で読み返してみると、どこを直したらいいのかが明確に見えてくる。翌朝また同じ作業を繰り返す。いつの日か、「これでいい」が、「これ以上いじると悪くなる」に変わる瞬間が訪れて、旅立ちになる。
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ノーベル文学賞が有望視される多和田さんでさえ推敲するのだから、我々が夜に書く“愛の告白”なら、なおさらだ。熱い想いを抱いていればいるほど、夜には膨らんでいき、酒なんか入っていれば、破裂寸前になる。なので、深い睡眠で頭を空にし、翌朝の推敲を何日か、繰り返すほうがいいということだろう。さらに、相手の良いところだけでなく、思い込みはないか、欠点はないか、許容できるかを冷静に。そのうちにその欠点が可愛く思えてきたら、ほぼ完成ということになる。
もし時間をかけたくないなら、直接会って、かつ夜がいい。互いに情緒的になっていて、(うまくやればだけど)雰囲気も盛り上がり、相手に「推敲」する間を、与えないように。だけど、「深い眠り」の後、そのまま続くかどうかは、まったく保証はできないけれども。
これも誰かが言ったような気がするのだけど。そもそも恋愛は、「推敲」の甘さのままに誤解で結びつき、誤解のまま別れる、と(そういえば、ワタクシも幾度となく—————)。