推敲【エッセイ】一〇〇〇字
朝カル「エッセイ講座」の9月の課題は、自由題(600字)。本原稿は1000字(本文)であるが、400字を削って提出することになる。
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「夜書いた手紙は、そのまま投函するな。朝に必ず見直しなさい」と、教科書の随筆にあったような。恋も、同じなのかもしれない。
古稀越えのワタクシの(きわめて少ない)経験で恐縮なのだけど、熱くなればなるほど、逃げられる可能性が高まり、逆に冷めていれば、追いかけられることも(たまには)あった。
多和田葉子が、『言葉と歩く日記』で、推敲作業について、こう書いている。<一晩寝かせておいて翌朝、昨日書いたことはなにもかも忘れた頭で読み返してみると、どこを直したらいいのかが明確に見えてくる。翌朝また同じ作業を繰り返す。いつの日か、「これでいい」が、「これ以上いじると悪くなる」に変わる瞬間が訪れて、旅立ちになる>と。
エッセイを書いている時、思い入れが強すぎたり、最高のデキだとか感じたりするほど、読者に通じないことが多い。恋も、同じことが言える。熱い想いを抱いていればいるほど膨らんでいき、酒でも入っていれば、破裂寸前になる。なので、睡眠で頭を空にし、翌朝の「推敲」を何日か繰り返すほうがいいということだろう。相手の良いところだけを見ていないか、許容できる欠点か。冷静に「推敲」し、そのうちに、欠点が可愛く思えてきたら、ほぼ完成ということになる。
外山滋比古の『思考の生理学』では、「朝の頭は楽天的」ともある。<一夜明けて、さっぱりした頭で読み返してみると、まんざらでもないという気がしてくる。これでよいことにしようと考えなおす感情的になって書いた手紙は、朝の頭で再考すると、落第するけれども、すべてを拒むわけではない。(相手の欠点でも)いいところがあれば、素直に認める大らかさもある>と。
しかし、そもそも恋愛は、「『推敲』の甘さのままに誤解で結びつき、誤解のまま別れる」とも、どなた様かがおっしゃった、とか?
(そういえば、ワタクシも幾度となく———)
ちなみに、外山は、「朝飯前」の意味を、こう書いている。「簡単なことだから朝飯前なのではなく、朝の食事の前にするために本来は決して簡単でもなんでもないことが、さっさとできてしまい、いかにも簡単そうに見える。知らない人間が、それを朝飯前と呼んだのではあるまいか。どんなことでも、朝飯前にすれば、さっさと片付く。朝の頭はそれだけ能率がいい」と。
TOP画像:「和樂web」から
赤い着物を身に纏い、顔半分を白い布で覆い、頭には烏帽子を被った懸想文売り。「三十六佳撰 懸想文 元禄頃婦人」 年方 出典:国立国会図書館
(おまけ)
神宮外苑の樹木が10月から伐採される予定だったが、延期したそうです。
「CHANGE.ORG」の活動の成果か、桑田佳祐までが反対の意思を表明した成果か。
今朝届いた「CHANGE.ORG」のこのページがおもしろい。あと少しで30万人の署名が集まります。
【神宮外苑】伐採延期をめぐる小池百合子都知事とスタッフの想像上の会話
7月26日の私の投稿記事「神宮外苑問題」
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