「出来ない」は「出来る」の出発点なのかもしれない
「あー全然出来ない」「何回やっても出来ないから、もうムリ」そんな風に思ったその時こそ、それが出来るようになる為に一歩踏み出す出発点なのかもしれません。
その日は、天気が良く秋の清々しい空気が漂っていました。
私は、清々しい気持ちで一軒の家に向かいます。
鎌倉市の中心からちょっと離れた場所の、大通りから狭い道を一本中に入ったところに広がる住宅街にその家はあります。
山と川がすぐ側にあって、家の前の道は少し進んだら行き止まりという、とても長閑で家の前で遊ぶにはとても良い環境です。
休日は、そんな場所に住んでいる仲の良い家族の子ども達と一緒によく遊ぶんです。
子ども達は二人いて、6歳のお兄ちゃんと4歳の妹ちゃん。
お兄ちゃんは、虫を観察したり、絵を描いたり、マインクラフトというゲームで家を創ったり、創作することが好きな子です。
妹ちゃんの方は活発な子で、走ったりサッカーをしたりと体を動かすことがとっても好きで、公園や家の前でストライダー※にも乗っています。
玄関の扉を開けると妹ちゃんが驚きながらも嬉しそうに迎えてくれました。
お兄ちゃんは黙々と創作をしている中、妹ちゃんは外で自転車に乗りたいっていうのです。
最近買ってもらったばかりの自転車の練習をしたいみたい。
自転車の乗り方を知らない妹ちゃんは、サドルに座って足を離して見ようするものの、倒れそうになって全然出来ません。
私は、乗り方を教えてあげることにしました。
まずは、サドルに足を乗せて踏み込む練習から初めて、次に下を向かずにまっすぐ前を向いてサドルを漕いでみます。
そう簡単に出来るものじゃありません。
だって、これまで一度もしたこと無いんですから。
「出来ないー出来ないー」って言いながらも、諦めずに何度も何度も根気強く頑張っています。
本当に凄いなと思ったんですが、一度も諦めようとしないんです。
乗りたいって強い意思が感じられて、私もどうにか乗れるようにしてあげたいという一心で30分くらい練習に付き合っていると、その時は突然訪れました。
コツを掴めたのか、乗れるようになったのです。
それも、自分の足で地面を蹴って勢いをつけて、こけないようにバランスをとって走れてるんです。
この時、思ったのです。
「出来ない」は「出来る」の出発地点なのかもしれないなって。
大人になっても、やったこと無いことをする時や、新しいことに挑戦するときに「出来ない」って思う事があるかもしれません。
一人で無我夢中にしてていても出来ないことも、先人の知恵を借りたり他人の力を借りることで、一歩ずつでも進むものです。
人それぞれの歩幅と速度がありますし、得意不得意はあって当たり前、他人と比較する必要なんてないんです。
自分がやりたいこと挑戦したいことなら、出来ないからすぐに諦めるのではなくて、そこは出発地点だと思って試行錯誤する事にこそ意味がありますね。