何もかも手放して移住した先にあったもの
人生で大きな変化起こしたいなら、関わる人・住む場所・仕事のどれかを変えることで人生に大きな変化が生まれます。
その全てを手放した私が一歩踏み出して今に至るお話です。
「地元という呪縛」
高校卒業するまで地元を離れたことがない私にとって、県外で働く・知らない土地・知らない人達と働くということが想像できませんでした。
周りの友達も多くが地元で就職し、進学の場合はそれぞれの土地へ移住していきました。
普通科高校を卒業してすぐの就職の道は本当に狭くて、専門性のある職には就けないし、企業から高校に来る求人も多くないんです。
先生の「今年は本当に求人が少ないなぁ〜」という言葉の通り、求人が来ているのは地元の自動車系の工場の作業員ばかり。
偏差値も高くない学校なので、今の学歴社会だとふるいに掛かることすら無いんです。
工場でだけは働きたくないと思っていた私にとっては、本当に狭き門というか、お先真っ暗みたいな感じでした。
ただ、比較的楽観的な性格をしている私は「どうにかなるだろ」と思って、『今、やれること』を一生懸命に取り組んでいました。
今できることととして面接練習を続けていた時、10年前の卒業生から求人の声がかかり、先生が私を推薦してくれて、担任の先生と一緒に面接に行くことになりました。
担任の先生が車で2時間以上かけて一緒に面接を受けに行ってくれたのですが、今思えば本当にありがたいですね。
「面接受かるために、カツ丼食べていくぞ!!」って一緒にカツ丼を食べたことを覚えています。
求人の声をかけてくれたのは、北九州市にある建設系の防水業を営むカヤ工業という会社でした。
地元から離れることにはなるけど、学校に来ている求人で自分の理想的な仕事は無いし、見知らぬ世界で興味はあったため、面接に行ってみるか!というような感覚で向かいました。
当時の社長は人情に厚く優しい人で、トントン拍子に話が進みその場で採用が決定し、すぐに就職することになりました。
「就職するなら地元じゃなきゃ・・・」という自分の想いを手放して、地元を出て就職したことが最初の変化だったなと感じます。
それから5年間、楽しんで笑って泣いて時には苦しんで、とても充実した日々過ごすことになります。
今の私が形成されたのは、この5年間があったからなんです。
地元と親元を離れるという自分の中では大きな選択をして、ある意味一人で生きていくことが経験できたことは、本当に良かったと思っています。
『地元・親元・こだわり』を手放して『初めての土地・初めて出会う人・一つのことに集中』を手に入れたのです。
「成長への一歩」
カヤ工業へ就職して3年が経った頃でしょうか、会社の代表が私が入社した時の社長から交代になりました。
それから、社内が良くも悪くも変わっていきました。
経営者が変わったわけですから、変化するのは当たり前だと今となっては思うのですが、変化の仕方が凄すぎて当時の私は驚きが隠せませんでした。
一番大きな変化といえば、自分より10歳以上年上の部下が数人入社してきたことです。
彼らは建築経験のない方々だったのですが、『上手く仕事をする』という言葉が適切かは分かりませんが、自分だけ楽が出来れば良いという精神で仕事をしているように私は感じました。
私たちの業務は、各々が担当する現場を『スムーズに、迷惑かけず、利益を残して、最高の仕上がりを提供する』ことで、現場の進捗を見に行って職人さんや元請と話をして、スケジュールや職人さんの配置を考えて手配・書類の管理もしなければいけません。
ただ、その新人さんたちは現場に行ってもちょっと覗くだけ、直接現場に行ったフリをしてどこかの駐車場で時間を潰して帰っていたりしてたのです。
職人さんと仲が良かった私には、そんな情報が全部入ってきます。
仕事に一生懸命に取り組んできた私は、それが許されていることが疑問だったので、会社の為にもこの体制を変えようと2年間以上先輩に何度も相談したのですが、何も変わりませんでした。
社長の方針が変わらない限りは変わらないものなんです。
社長が容認しているのであれば仕方がありません。
そんなモヤモヤした想いを持ったまま働くことになります。
入社して5年が経った頃には業務にも慣れてきて、自分のスキルもアップしたことで仕事も楽になり楽しんでいました。
その時ふと思ったのです、このままだと『上手く仕事をする』人間になってしまって、変化しようとすることなく、これ以上成長できないんじゃないか・・・
そう思った私は、『変化』を求めて5年間のキャリアを手放し転職をすることにしました。
この時には、これから先どうなるかを考えるよりも、自分自身がどう成長できるかを考えていました。
初めての転職活動はとても大変でした。
転職の仕方なんか誰も教えてくれませんし、求人の探し方すら誰も教えてくれません。
試行錯誤して、機械系の商社を営む会社である三共商事株式会社の九州営業所に転職することになります。
『仕事・人・住居』を手放して『転職活動・新しい仕事・新しい人との出会い・新しい土地』を手に入れたのです。
「更なる変化を求めて」
カヤ工業での5年間のキャリアを手放し、3年間ほど三共商事では営業職として働くことになります。
建設業界と卸売業界は全く接点もなく関係ないのですが、成長するための新しい経験をするために転職を選んだ私にとっては、業界なんか関係ありません。
ただ、自分は人と喋るのが好きだし得意だったこともあり、コミュニケーション能力を使っての経験を積みたくて営業職を選択しました。
入社してから営業所と個人の計画を達成するために、試行錯誤しながらも問題なく売上をたてていました。
全社員約100人の中で、営業所の売上推移が本社に評価されて表彰されたこともあります。
細かく見れば色々な事がありましたが、総じて順調に仕事を続けていました。
三共商事に入社してから3年が経ったころ、私の気持ちが変化することになる『ある出来事』が起こります。
それは、上司からの衝撃的な一言でした。
細かいことは伏せますが、『お前はこの会社では多分上を目指せないぞ』的な感じです。
この一言を聞いて、空いた口が塞がりませんでした。
自身の業績も順調で、思い当たる節はありません。
九州営業所を関東に負けないくらいの営業所にするという強い想いを持って働いていた私にとって、進む道を断ち切るような一言でした。
私は、改めて『働く』という事、『自分の人生』をどう生きるか、『成長』するにはどうするべきか考えることにしました。
少しモヤモヤとしながらも働くことになります。
そんな時、ふとスマホの中にダウンロードだけして使っていなかったTwitterを開いてみました。
Twitterの中には、当たり前ですが全国各地の色んな人がいました。
色々な人のプロフィールと投稿を見ていくうちに「自分の知らない世界に面白い人が沢山いる」「もっとこの人達のこと知りたい」そう思うようになりました。
僕にとって、Twitterは子供の頃に読んだ図鑑のようなもので、ワクワクしました。
知らない人と繋がれて、コミュニケーションが取れるのです。
色々な人の投稿にリプライしたり、DMを送ったりしました。
その時は思ってもいませんでしたが、Twitterでの出会いをキッカケに、私は地元九州から飛び出して関東に来るという大きな一歩を踏み出すことになります。
『安定した仕事・九州・人・住居』を手放して『変化のある環境・1対1の繋がり・新しい出会い・九州にはない価値観・新しい土地など』を手に入れたのです。
「一瞬のチャンス」
Twitterには本当に色々な人がいます。
そんな多くの人たちの中で、偶然にも私と同じくらいの時期にTwitterを始めていた株式会社ウィルフォワードの代表である成瀬さんと出会います。
成瀬さんは本当に知識が豊富で面白くて、自分がこれまで会ってきた大人たちとは全く違う人種の人でした。
そんな、成瀬さんの投稿にリプライしてみたりしていく中で、東京で成瀬さんたちがイベントをするというのです。
地元九州を自らの意思で出た事がなかった私は、少し悩みましたがリプライをしてみました。
すると、『イベントの運営としてくる?』と言ってもらったのです。
正直、少し悩みましたが勇気をもって東京へ行くことにしました。
この時、初めて成瀬さんに直接お会いしました。
それから、成瀬さんが開催するイベントに数回参加したりしていくなかで、自身の仕事について相談させてもらいました。
すると、成瀬さんが「九州で仕事を探すのも良いけど、鎌倉には面白い人が沢山いるしオフィスに宿泊もできるから、これから自分がやりたい事を見つける為に来てみたら?」って言ってくれました。
知らない土地・知人は一人しかいない・仕事も決まってない。
流石に少し不安もありました。
ただ、「このチャンスは二度と来ないかもしれないし、何もかも手放すことになるけど行ってみよう」そう決心した私は、地元九州を出て鎌倉にいくことを決意しました。
私は、鎌倉で4年間にわたって自分にとって大切なもの・どう生きたいかを探し試行錯誤しトライし、フリーランスになることになります。
『不変』を手放して『可変』を手に入れたのです。
『人生は常に変化していくもの』
鎌倉に来てすぐにコロナが蔓延したりと色々な事がありましたが、ウィルフォワードや成瀬さんを通じて、多くの人と出会い関係をつくることが出来ました。
これまで、その場その場で『仕事』を中心に考えて生きてきた私は、そこから解き放たれて『自分』を中心に物事を見始めます。
正直、すごく違和感がありましたし、悩んだりモヤモヤしたりすることも沢山ありました。
人生に正解はなく未来がどうなるかなんて予測できない中で、『自分のやりたい・なりたい』を中心に何が出来るのか考えるのって本当に大変です。
説明書も何もない、実態も何もない、そんな『あるかどうか分からないもの』について一生懸命考えるんです。
だから、思ったのです。
人生は常に変化していて『あるかどうか分からないなら、なくてもいいからやってみよう』
自分というものを中心において真剣に考えた、この4年間で気づけたものは、これまでの比較にならないほど大きなものでした。
例えば
・人は基本的に無関心
・人との出会いも仕事も運
・運の確率は行動してあげる必要がある
・行動するすると変化する
・変化するには勇気と覚悟がいる
・適当に生きる事が大事
・相手の自由を損害しないように自由に生きる
・人を幸せにするには自分から
・人を楽しませるのも自分から
・自分は自分、相手は相手
・対話で全て解決する
・自分の感情を理解できればラク
・当たり前は当たり前じゃない
など
あくまで、僕個人の考えであって、これが他の人にとって正しいかどうかなんて分からないので注意してください。
ぜひ、あなたの考えもコメントで聞かせてもらえると嬉しいです。
「最後に」
何もかも手放して一歩踏み出して移住した先にあったものは、自分の人生でした。
私たちは、日常生活や仕事をしている時も、生きていると常に選択が自分の前にはあって、自分自身で決めて進まなくてはいけません。
その決断の中で、自分の人生を変えるかもしれない一歩を踏み出すこと(進学・就職・転職・異動・転勤など)はワクワクする反面、不安になったりもします。
一歩踏み出すことに、良い・悪いなんて存在せず、その選択を自分で決めたのであれば、それに間違いはないと私は思っています。
勇気を出して一歩踏み出してみることで、これまで何かを中心にして見えてきた世界とは全く違った世界が見える事があります。
これからも、沢山変化して一歩踏み出していきたいです。
ここまで、読んで頂きありがとうございました。