合作俳句×合作楽譜——作曲とは何か、作品とは何かをめぐる実験について
2021年12月19日(日)、アミーキティア管弦楽団(アミオケ)による5年目にして4回目の釜ヶ崎芸術大学コンサート「音楽とことばの庭」を開催いたしました。
このコンサートは、僕たちアミオケにとっては、コロナの影響による休止期間が明けた一発目に当たり、情勢が読めない中ようやく開催できたコンサートでした。そのこともあって、早い段階から編成を9名に絞ってアンサンブルと室内楽を中心に企画を立てることにしました。もともとこの釜ヶ崎芸術大学のコンサートではスペースの都合上、管楽器はすべて1名のいわゆる1管編成でかなり小ぶりのオーケストラ(全員で20名前後)で演奏をしてきたのですが、今回は弦楽4重奏+木管5重奏=9重奏(ノネット/nonet)という室内楽・アンサンブル編成を初めて採用しました——このこと自体については稿を分けて改めて書きたいことがあります。
今回のプログラムでは、その「4(弦)+5(管)=9(管弦)」の3通りの編成でできる楽曲の演奏に加えて、「合作俳句×合作楽譜」というワークショップを企画・実施しました。本稿ではその内容の紹介と面白さについて詳しく紹介していきたいと思います。
合作俳句とは
合作俳句とは、釜ヶ崎芸術大学の主宰者、詩人の上田假奈代さんが考えた俳句創作ワークショップの手法です。俳句はご存じの通り、「5・7・5」からなる(こう言って差し支えなければ)「詩」です。この「5・7・5」をその場にいる全員で分担して創作するのが、この合作俳句です。
最初に、参加者に対してひとり一枚、白紙が配られます。そして進行役から提示された「お題(例:おやつ)」を聞いて連想する5文字を、最初の句として紙に書きます。
全員が書けたら紙を一度回収し、シャッフルして配り直します。次に、先ほど誰かが書いた5文字に加える7文字を作ります。このときにはもう「お題」は関係なく、最初の5文字からも出来るだけ遠く遠くに飛ばしたような言葉で7文字を作ります。全員が書けたら、また回収してシャッフルします。
5文字+7文字が書かれた紙が手元に届いたら、最後の5文字を考えます。最後の人は、自分の5文字によって「5・7・5」の俳句を完成させる意識をもって、最後の5文字を考えます。また最後だけは特別ルールがあり、ここで参加者がもし望むのなら、自分が最後に書き加えた5文字から始まって逆に進む「5・7・5」の俳句とすることができます。それも含めて、最後の人がしっくりくると感じる俳句を完成させる役割を担います。
出来上がった俳句をひとりずつ読み上げて発表します。発表を聞いたら、必ず誰かがその句を褒めて感想を言います。そして感想を述べた人が次に俳句を発表する、という流れで全員が発表して終了となります。
合作楽譜とは
この合作俳句と同じ要領で楽譜を作ってしまおう、というのが、今回の「合作楽譜」です。先ほどの合作俳句で用意した白紙は見開きになっていて、片方は何も書かれていたい普通の白紙ですが、もう片方にはまっさらな五線譜が上から三段、予め書かれてあります。そして最初の5文字を書き終えた人はその横の白紙楽譜に移り、一番上の段の五線の上の好きな場所に、その5文字をイメージしたもの表現するように、好きな色の丸いラベルシールを貼ります【下図】。シールは5枚でなくても構わなく、とにかく好きに貼ります。
あとはもうお分かりのように、一回目のシャッフルを終えて次の7文字が書けたら、次は真ん中の段の五線の上に同様にシールを貼ります。そして最後、もし俳句を作った際に「ひっくり返した場合」は、楽譜も下の段から真ん中の段、最後に上の段、という順番で下から上に演奏していくことになります。
発表の際には、まず俳句を読み上げて(朗読して)、次にセットになっている楽譜をアミオケ演奏者が演奏します。俳句はもちろん演奏者たちも作っていますので、演奏者の番には一人二役、そうじゃない人の番には、演奏はアミオケ演奏者がする、という形になります。今回は予行演習として11月14日(日)に公開リハをしたのですが、その現場では、手に手に楽器を持った釜ヶ崎のおじさんや地域外からの参加者がアミオケの人たちと一緒になって演奏していて、とても楽しかったです。
楽譜制作のルールに関して言えば、ト音記号へ音記号、調号や臨時記号は書かないで下さいとお願いしました。特に前者については、それを書いてしまうと音が指定されてしまうからです。反対に、移調楽器なら普段の楽譜通りに読んでもらってもいいということにしました。シールの大きさは大小2種類あり、色は10色くらいあります。そのシールの色や形、並びによって示されている「言葉のイメージ」を音として表現するのが、今回の「演奏」ということになります。それはシールを手掛かりにしたコミュニケーションとも言えます。
他方で旗(♪←この音符についているひらひら/旗ひとつなら♩の半分の長さの音)くらいは書いてもらってもいいようにしました。ただ、さきほどサンプルでシール貼りの例をお見せしましたが、そもそもこんなに普通の楽譜が出来上がってくることはまずありません。「旗が…」とかそういうルールがどうでもよくなるカオス(もちろんいい意味!)な楽譜がたくさん出来上がってきました。
二重円になっている、縦に重なっている、意味ありげに貼られていない空間、円になってシールが循環している……いやいや、どうやって演奏するねんこれ笑 と真面目な人なら頭を抱えてしまうような「楽譜」たち。ですが実際の現場ではほとんど問題なく、シールを手掛かりにしたコミュニケーションが自然と成立していたところが、今回最も面白かったところだと僕は感じています。
合作楽譜における作曲性
まず今回僕の知る限り、公開リハでも本番でも、日頃から「作曲」を行っている人は一人も参加していませんでした。言い換えれば今回の参加者は誰も、作曲の理論に基づいてシールを貼ってはいませんでした。つまり作曲の理論上の話だけで言えば、例えば最初の5文字が「こんにちは」として、一番上の段の五線上に作られた「楽譜」が、こんにちはを表現して特定のメロディやハーモニーを「作曲」されたものではないことになります。
ですが他方で、参加者は誰であっても自分の考えた言葉のイメージを、絵画的なのか、図形的なのか、造形的なのか、何らかの表現として五線上に落とし込んでいきます。また五線譜は下に行けば行くほど低い音、上に行けば行くほど高い音、というくらいは共通理解があったものと思われます——余談ですが先日ある作曲家から聞いた話によれば、地球上のどの民族も共通して、音の高さと位置の高さをリンクさせてイメージする文化を持っていることを示唆した調査があるそうです。
つまりこの楽譜には、作曲理論とは別のところで付与された意味が乗っていると言えます。より正確に言えば、演奏する側に、そのように意味が存在していると読み込ませることが可能になっています。なまじ楽譜通りの演奏が不可能であるがゆえに余計に、目の前の楽譜は「きっかけ」として存在し、その奥にある意味を読み込みながら演奏されることになります。
また、おそらくほとんどの参加者は、演奏されるまでどんな音楽になるかを完全に想像してはいなかったと思います。なので、演奏者によって読まれ、演奏されることで初めて、その俳句(に書かれたそれぞれの言葉)がどのように演奏者に解釈されたかに触れることになります。その意外さも含めた納得度合は作品によってそれぞれですが、言葉が拾われ、読まれ、それが音楽として返ってくるコミュニケーションこそが、あの合作俳句×合作楽譜だったのだと思います。
「合作」における作家性と作品性
あわせて、そもそも今回の俳句や楽譜を制作する手法としての「合作」がワークショップの中身をより複雑に面白くしている点が重要です。
本稿でたびたび「制作」や「作品」という言葉を使いましたが、それは通常であれば、限定された作り手が、自らの創作意図を表現する行為や、した物を指す言葉です。
翻って、では今回の合作俳句/合作楽譜の作者は誰でしょうか。1首ごとに3名?参加者全員?ここまでくるとむしろ「いない」? 複数存在することは確かですが、かと言ってその作家性が均等に配分されているわけでもありません。
合作俳句における「5・7・5」は3名が関わります。では均等な3名かと言うと、明らかに3人目は強い作家性を有しています。なぜなら、「5・7」と来た句をまとめる意識で最後の5文字を作り、場合によっては反転させてまで俳句を完成させる役割だからです。では3人目が強く関与した作品ということで終わるかと言うと、その作品が今度は発表の場で他の参加者に褒められ、「この俳句はこう言うことを詠んでいる…」まで言われてしまい、いわば勝手に解釈されることで3人目の影響力はとたんに弱まってしまいます。
それぞれの工程では、みんなそれなりに真剣に考えている。最初の人は「お題」を基に言葉を作るし、次の人は最初の5文字から「できるだけ遠く」と言われてことばを作り、最後の人はそのカオスをまとめ上げる。ようやくまとまった俳句は、「絶対に褒める発表会」の中で読み上げられるけれど、ほめる側に当たった人は当然その時はじめてそのカオスな俳句を聞き、どう褒めたらいいか全然わかんなくても一生懸命考えて褒める。みんなそれぞれの工程では一生懸命で、その意味で全員がフルコミットで創作をしていて、でもその瞬間瞬間で、その俳句や楽譜が、誰によるどんな意図が込められた「作品」かがぐるぐると変わっていく。
こんな感じなので、もはや一周回ってこの俳句/楽譜が誰の手によるものか、どんな制作意図なのかは実はどうでもよくて、けれども面白いものが出来上がってしまうゆえに、意味が読み込める「作品」として不思議と成立してしまっている、そういう状況なのです。ただそこには生み出された言葉が引き継がれていくこと、シールによる表現が音楽になって返ってくること、この二つを中心にいくつものコミュニケーションが多重に発生していて、それがワークショップ全体を支えていたのです。
思えば(詩の)朗読とは言葉に音やリズムを乗せること、あるいは音やリズムに言葉を乗せることで、それはテキストとしての楽譜が音/音楽になることと近いものを感じます。反対に言えば、楽譜を演奏することとは、ある面では朗読とも言えるのかもしれない。もちろんその中で、文法を含む広い意味での言語体系の側にいる詩と、和声や管弦楽法といった音楽理論の側にいる楽譜という違いはあります。けれども例えば、詩文を歌詞として作曲された作品でも、音楽的すぎてもはやそれは元の詩などどうでもよくなっており音楽でしかないと批判されるものがあるように、その境界領域には音楽と言葉の行き来が可能になる何かがあるように思われるのです。
実験とその後——通し演奏
以上のようなワークショップはある意味で実験音楽的ですが、他方でその実験によって生まれた音楽や言葉たちを重ねてひとつの音楽にしたいと思い、今回の本番では最後に「通し演奏」を行いました。
まずアミオケ演奏者と(その場で選んだ)朗読担当者が1対1になるようにペアを組みます。次に演奏者は内側を向いて一重の円になる形で座り、目の前に譜面台を置いてそこに俳句/楽譜を用意します。そして朗読担当者はそれぞれペアの演奏者の後ろにつきます。
スタートのペアは、自由なタイミングで楽譜の演奏と俳句の朗読を同時に始めます。その同時プレイが終わったと思ったら、左隣のペアが同じように、自分の俳句/楽譜を同時に朗読/演奏する、という風に、順々につなげていきます。またその同時プレイの後ろで、ゲスト伴奏者:丸谷雪さんのキーボードと、宮本友季子さんのパーカッションで、その朗読/演奏に背景(シーン)付けていきます。この背景演奏は即興です。
一番最後のペアまで進んだら、そのペアは僕の指示で最後の音をフェルマータ/クレッシェンドでしばらく伸ばします。背景演奏も同様に盛り上げます。そしてピークで音を切って、次の合図で「釜ヶ崎オ!ペラのテーマ」を全員で合奏して終了、というのが通し演奏の流れになります。
この音楽のベースを支えているのはもちろん即興でつけられた背景演奏ですが、とはいえまず俳句/楽譜の朗読と演奏があります。俳句の言葉、楽譜の演奏、その重なる二つの音が背景に乗って演奏され/朗読されることで、全体として一種の音響作品として、会場を満たしました。もちろん半屋外で音が拡散するような場所なので「音響」といってもそれほど効果的なものではないのですが、それでも声や音楽が重なり繋がっていく様子は聞いていてとても楽しかったです。
このコンサートのタイトルは2027年の1回目から「音楽とことばの庭」でしたが、今回はいままでで一番、そのタイトルに沿ったワークショップができました。12月の寒い中、毎回このコンサートでは環境が気がかりですが、この「庭」の持つ面白さはこのコンサートならではの価値だと思い、これからもこの「音楽とことばの庭」でできることを探していきたいなと思います。参加してくれた演奏者の皆さん、釜芸に訪れてくれた皆さん、かなよさん、ココルームスタッフの皆さん、ありがとうございました!
Reported on the You Tube radio in English.
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?