愛犬との別れ
数年前ですが、実家の犬が亡くなった時の話です。
悲しみもありつつ私にとって、大切なできごとだったなと思ったので、備忘のために書きます。
家にやってきた経緯
当時10歳で小学4年生だった頃。
母子家庭一人っ子で母が看護師のため夜勤で家におらず、怖がりで泣き虫だった頃の私は夜の無音が怖くて眠れず部屋の電気は消さずにテレビをつけたまま寝るという生活を過ごしていました。
ある日、母親から「職場の同僚から犬が子供を産んで譲ってくれるみたいだけど見に行く?」と言われ、ドキドキしながら子犬を見に行きました。
4匹いた中で1匹だけ大人しいマイペースな子がいました。その子にすると直感で決めました。
家に迎え入れると家族が増えて一人っ子で寂しい思いをしていた私にとってはこの上なく嬉しいできごとでした。
女の子ではあるものの、当時観た映画の海猿で登場する言葉でパートナーを意味する「バディ」という名前をつけました。
日常
にぎやかな家族が増えると同時に楽しい日々も増えていくだけでなく命を育てることの難しさも学びました。
兄弟のように想っていたバディとよく散歩をしたり、サッカーをしていました。
気づくと留守番が寂しくて眠れなかった日々は消えていました。
人見知りだった私が、犬の散歩をきっかけに公園で知り合った隣の学校の男の子と家に泊まりにいくくらい仲良くなりました。
少しですが人付き合いも増えていったり、色んなきっかけもくれました。
サッカーに明け暮れて夜遅くに帰って来る時も、玄関の扉を開けるといつも尻尾を振りながら出迎えてくれました。
私の成長を一番近くで見守り、心の支えになってくれていた大切な存在でした。
別れの1週間前
それから時は経ち、私も一端の大人になり一人暮らしを始めて数年経った頃。
突然、数年見ることもなかった実家の犬の夢を見ました。
懐かしいなと思いつつ、まるで走馬灯をみるように当時ともに過ごした日々が映像として流れてきました。
一緒に小さなボールでサッカーをしたこと。
名前を呼ぶと笑顔で駆けつけてきてくれたこと。
散歩でリードが取れて走り出した時、道端の人がとめてくれてなんとか助かったこと。
なんだかすごくリアリティのある映像が流れてきて、最後に甘えるようにすり寄ってきたバディは、
遠くへ歩き去っていきました。
そんな夢に意味がないとは思えず、「そろそろ天国へ逝ってしまうからお別れの挨拶に来たのかもしれない。」と思い、心の準備が始まりました。
母からの報せ
たまたま区役所に用事があり、ちょうど仕事の休みを取っていた日の朝4時。
母親から「バディが亡くなったのでお見送りに来てほしい」と連絡があり、
区役所の用事を終えたあと、バディの元へ向かいました。
久しぶりに会うと身体は痩せ細り、元気だった時の半分にも満たないほど小柄な姿でした。
手を当てても鼓動はなく、身体は冷えていました。
正直会うまで自分でもどんな反応をするのか、分かりませんでした。
触れてみると思い出が蘇ってきて「もう会えない」と思うと、涙が溢れて止まりませんでした。
1時間ほどただただ触れながらお別れの時をともに過ごし、感謝を伝えました。
飲みの席にて
その日、始めて母親とサシで飲みに行きました。
席に着くと、1週間前に見た夢の話を母にしました。
すると、母から当時の状況を聞くと別れのちょうど1週間前、バディは意識がなくなったり戻ったりずっとうなされていたと聞きました。
私はその話を聴いて辛かっただろうな、安らかな最後には出来なかったことに申し訳なさを感じながらも、ふと思いました。
突然みたあの夢はバディが距離も離れている私に最後のお別れを伝えに来てくれたのかなと。
もしそうだったなら、心の準備をさせてくれた事に、最後まで気を遣ってくれたことに感謝しかありません。
愛犬からもらったもの
一人で留守番をし寂しかったあの頃、学生時代に傷つき、悲しむことも多かったあの頃。
当時はあることが当たり前で気づけなかったですが、無条件にいつも笑顔で出迎えてくれてはすり寄ってきてくれていたバディから無償の愛をたくさん受け取ってきていたことに気づきました。
悲しみだけでなく、心に残る温かいものを最後にも届けてくれたバディには感謝してもしきれません。
これからの私
このできごとは、私の人生の価値観に大きな影響がありました。
"無償の愛"
これは私にとって温かいものであり、とても大切なものです。
心が少しでも温かくなるような"関わり"や"発信"で、一人でも多くの方に届いたらいいなと思い生きています。
長くなりましたが、読んで下さったみなさまにも"無償の愛"で心温まる日々でありますように。
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