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三島由紀夫の凄さ

こんにちは、MASANORIです。

ふと立ち寄った書店で平積みされていた三島由紀夫の『小説読本』を最近読んでいます。

三島由紀夫といえば、『金閣寺』『潮騒』が知られているのではないでしょうか。

私もそうでした。しかし、私はあえて「定番」を読むことが嫌いなので読んだことがありませんでした。

そんな中『小説読本』が目に入り、パラパラと読んでいると、不思議に読んでみたいという衝動にかられ、購入しました。

初めはむずかしい語彙が私を襲い、読み怠けてしまうことがありましたが、

「言葉の筋トレ」と思って読み進めました。すると夢中になって小一時間、読んでしまいました。

今回は何がすごかったのかを語りたいと思います。

まずなんといっても、語彙力の豊富さが目につきます。

瀟洒収攬衒学的など、漢字検定の問題かっ!というほど読めない漢字が多く内包されています。

しかし、これは反対の意味で言えば、自分の知らなかった語彙や表現力の勉強になります。

次に、時に真理めいた言葉を述べていることです。

この『小説読本』という本は三島由紀夫が「小説とは何か」「自身の小説の見方」を綴っている本です。それなのに普遍的な真理を述べるシーンがあり、その言葉には納得させられるものがあります。

物事をやるには適した才能が必要であり、曲がりにも職業としてやっていける人はその才能に恵まれている

どうでしょうか。「確かに」と思ってしまいませんか。この言葉は僕にとって「自己啓発」になりました。

たとえ自分がやりたいことが、向いていないにしても職業としてやっていけるのだとしたらそれはちゃんとした才能があるのだと三島由紀夫が判を押してくれるのです。

これほど嬉しいことはありません。戦後の日本の文学界を代表である三島由紀夫が認めてくれるのならば自然と気持ちが前向きになります。

だから、僕は今日もやりたいことを職業としてやっていけるように精進していきたいと思いました。

このようにこの本の凄さの真髄は、言葉ひとつ、ひとつに彼の魂がこめられており、その言葉が時に人に厳しく人に訴え、時に、人をやさしく包み込んでくれる「アメと鞭」ならぬ、「アメと無知」を与えてくれるところにあるのだと思います。

早く読んで書評したいと思います。

では、また。

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ここまで読んでいただきありがとうございました。

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