未来のためにできること1
教育を受けられない子どもたち(世界)
前説:世界の子どもたちが教育を受けられない理由(社会的背景など)の顕在化と分析:問題提起
筆者が思い当たる世界の子どもたちが教育を受けられない理由は、以下の通りである。
慢性的な貧困のため、教育より労働力として借り出されるケース
1に付随して、教育制度は有るものの経済格差で限定されてしまう
その国独特の社会制度の中で、性別で限定されていたり、そもそも教育制度が無い
国の情勢が、戦時下等に置かれており環境・心理的要因で安定した教育が提供されない
いずれも、子どもが教育を受ける権利を阻害する過酷な環境である。
1.筆者が考える教育あるいは、勉学の原点(筆者の私見)
筆者が考える広義の教育、勉学の原点(目的)は、子どもたちが成人して社会に出て、その社会を担う時に、『有意義な社会生活がつつがなく送れること』である。そして、抽象的な表現とはなるが、その社会を維持若しくは、より良く発展させる社会的サイクルのノウハウを学ぶことではないだろうか?
2.過酷な環境下にある子どもたちに、我々大人ができること
前述の過酷な環境下に置かれている子どもたちは、教育は受けられていないものの広義の意味での勉学には、励んでいると筆者は捉えている。
彼ら・彼女たちは、過酷な環境下で、『生き残る為に、生き抜くために』日々学び、知恵を絞って生活している。つまり、リアルタイムで生きる為のミッションと向き合い、真剣・必死に学んでいる。そんな真面目な子ども達に、今社会を構成している私達大人がより現実的にできることは、最低限『これ以上、過酷な環境を悪化させないこと』ではないだろうか?
自分の境遇を受け入れ、必死に人生を生き抜くことを実践で学んでいる子ども達に対して、問題に真摯且つ誠実に向き合い社会環境を悪化さないことが私達大人の急務である。それは抽象的ではあるものの重大な責務である。
おわりに
今後、教育に恵まれている子供たちにも現状を知ってもらい、協力を求めて世界基準で意見を募るのも良いかもしれない。私達大人がこの深刻な責務を自覚して、社会をどう改善していくかを考えていくことが大変重要である。これをふまえた『教育の平等』の推進について課題とすることを結びとして本稿を終えます。読者様におかれましては、長文にもかかわらず最後までご精読をありがとうございました。今後ともよろしくお願いします。