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メンタルを強くする方法

現代社会はストレスとの闘いだ。ネット上にも言葉の暴力があふれている。

日本では、90年代以降、若者の自殺率だけが上昇を続け、今や世界1位となっている。心の病により心療内科に通院する人達の数も年々増加の傾向にあるようだ。

悩みや苦しみの原因となるものは人によって違う。自分を知り、悩みの原因を自覚して、メンタルを強化する方法を身につけていくことが、ストレス社会を生きていく上で大事なことだと思う。

この記事では、メンタルを強くする方法について考えてみたい。

■悩み苦しみの原因は「執着心」

メンタルを強くするということは、己の感情をコントロールするということだ。

感情をコントロールできない最大の原因は、「執着心」にあることは間違いないだろう。

悩み苦しみの原動力は「執着心」だ。 仏教で言うところの「煩悩(ぼんのう)」というもの。

病気やお金の問題、地位や名誉、夢や希望、あるいは人間関係、これらすべては人間が執着する対象となる。

自分の周りの人や物や環境が、自分にとって都合がいいことが当たり前であるという認識(執着心)。

当たり前のことなどこの世に何も存在しないと言ってもいい。

しかし、わたしたちは当たり前だと思って生きている。明日も自分は生きていると信じて疑わない。みんながみんなそう思っている。

だから、不測の事態に右往左往してしまう。

執着心とは人間が持つ心の弱さだ。

■メンタルが弱い人

メンタルが弱いという人は、ほぼ間違いなく「執着」する人だ。 執着とは自分の心の中の正解のようなもの。

自分の考えを妄信し疑うことをしない。自分を引いて見ることがなかなか出来ない。そして、自分にとっての正解を自分にも周りにも押し付けてしまう。

だから、正解とは思えない周りの言動に過剰に反応してしまう。感情に振り回されて、煩悩のなすがままに人生を歩む。

単純にその方が「自分にとって楽だから」だ。

楽なことをしている限り、強くはなれない。

感情の起伏が激しく、いつも周りに対して怒っている人、自分の感情をコントロールできない人は、あからさまに自分の弱さを露呈している。

■答えは一つじゃない

執着こそすべての悩みの原因だと言える。執着こそが習慣(悪習)を作り出している。そして、その悪習がさらに執着を生むことになる。

ロジカルシンキング(論理的思考)と呼ばれる思考法がある。

ロジカルシンキングには、「演繹法(えんえきほう)」と「帰納法(きのうほう)」と呼ばれる2つの手法がある。

「演繹法」三段論法とも呼ばれ、自分の正解に執着する人は、無意識に心の中でこの「三段論法」を誤った方向に使っている。

「演繹法」は、ある事実やその前提となる正しい情報を元にして、推理・推測を重ね結論を求める思考法だ。

最初に「大前提」、次に「小前提」があり、最後に「結論」となる。だから三段論法と言う。

例えば、
• 大前提:「背の低い男性より背の高い男性の方がモテる」(一般論に準じた自己基準)
• 小前提:「Aさんは背が高いが、Bさんは背が低い」(観察)
• 結論:「Aさんの方がモテる」(個人的な見解)

大前提の考え方の自己基準は人によって様々だし、正しいかどうかは不確かなものだ。しかし、人は自分が正しいと思い込んでしまう。

この「大前提」の部分が絶対的なものではなく不確かな自己基準であるなら、人それぞれに違った「結論」が出てしまう。これが個人の持つ執着と言うものだ。

背が低いからモテないという基準は一般的な考え方ではあるが絶対的なものではない。背が低くてもモテる人はモテるし、逆に背が高くてもモテない人はモテない。

次に、「帰納法(きのうほう)」という思考法。

帰納法は、起こった出来事から共通する部分を見出して、そのパターンを理解することによって仮説(結論)を立てる手法だ。

例えば、
• 小前提:「Aさんは背が低くモテない」(観察)
• 小前提:「Bさんも背が低くモテない」(観察)
• 小前提:「Cさんも背が低くモテない」(観察)
• 結論:「背が低い人はモテない」(仮説)

ここでは、それぞれの出来事を観察することにより、小前提のパターンを理解し結論を導き出している。

「演繹法(えんえきほう)」と「帰納法(きのうほう)」の違いを一言で表すと、

・「演繹法」
すでに知っていることから推理・推測する

・「帰納法」
起こったそれぞれの出来事からパターンを見出し結論付ける

「演繹法(えんえきほう)」では、大前提が自分の間違った主観であれば、結論も間違ったものとなる。

この場合、大前提が間違っていることに気づかなければ、おそらく結論の間違いには気づけないだろう。

「帰納法(きのうほう)」では、複数のパターンを読み取り結論を導き出しているが、「小前提」には例外もあるだろう。

自分の中の正解にかじりついて融通が利かない人、それを押し付ける人は、演繹法(えんえきほう)の「大前提」に固執している。自分の考えは正しい、だから結論はこうだ!と言わんばかりにこぶしを振りかざす。

物事は演繹法(えんえきほう)で考えるよりも、帰納法(きのうほう)で考えた方が思い込みも減って思考が柔軟になるだろう。周りを見渡してみることができるからだ。

己の大前提を疑い、物事をいろいろ観察していき思考を柔軟にすることが、より良き人間関係を築いていくことになるのかもしれない。

いろいろな事例を見ていき共通するものから推理・推測して結論を導き出していくことだ。

いい意味で自分を疑うこと

一般常識を単純に当てはめていくのではなく、「答えは一つじゃない」という意識を常にもって柔軟な人生を生きていくことを意識して行きたいと思う。

■まとめ

自分を疑える謙虚さを持ち「答えは一つではないのかも?」と自分自身に投げかけること。

心を強くする方法は、何かを足して己を強くすることではなく、自分の心の中の余計なものを断捨離すること。

人生を足し算ではなく引き算していく。
余計な物を一つ一つ捨てて行く。
大事なことは、何を捨て、何を残すか。



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