今こそ言葉を使おう。
絵文字やスタンプ。そういったものが今までとのコミュニケーションの取り方に違いを生んだ。
僕は、そういったものが好きだ。というより、好きになれた
中学生。iPodtouchでLINEを使い始めた時には、スタンプや絵文字というものが嫌いだった。
それはどうしてか。
いろんな人がいろんな感情を持っているのに、同じような絵文字やスタンプでその感情を伝えることができるのだろうか。いや、できないだろう。
と考えていた。
今思えば、とても浅はかだと感じるけれど、尖っていた僕は心の底からそう考えていた。
ただ、時間が経っていく中で、僕個人がLINEでいろんな人とコミュニケーションをとっていったり、企業がLINEアカウントを使って広告を始めたりする中で、なんとなく絵文字やスタンプという新しいツールを受け入れられるようになった。
はっきり言って、僕たちが普段使っている言語(僕の場合は日本語。)をうまく使うことはできない。そのために、難解な日本語や読み方の難しい漢字は別の言葉で言い換えたり、ひらがなにしたりする。
しかし、絵文字やスタンプはどうだろうか。ある程度使い方があいまいでも、なんとなくイメージが浮きやすいものになっている。
きっと僕たちは文章を目にしたり、聞いたりしたときに脳のどこかで映像で思い起こしているのかもしれない。そう仮定した時に、絵文字やスタンプには色があったり、動きがあったりするので映像に起こしやすい。
感情にはいろんな文脈が詰まっているから、感情を百パーセント相手に伝えるのは難しい。その難しさを取っ払うために、絵文字やスタンプというツールを使う。
こういったツールが生まれたわけは、大人と小さな子供の接し方を見ていたらなんとなく想像できる。
小さな子供(幼稚園生くらい)は、一日の間に起こった出来事を事細かく話してくれる。ただ、起こったことをありのままに話し、想った感情をすべて話す。たいていの大人にとって、そういった言葉をすべて聞いてあげる時間がないという理由で、「少し静かにしてて」と言って、話を終わらしてしまう。
そういった環境から生み出されたのが、絵文字やスタンプではないのだろうか。
小さな子供の一日。友達と遊んだ幸せな時間や、小さなの冒険のことだとか、友達にされた嫌なことだとか。
いろんなことを大人にも教えてあげたいのだけれど、大人がそれを聞いてくれないので、できるだけ短い時間で伝えるしかない。
そういった考えになると小さな子供は成長していくにつれ、できる限り短い言葉で話さないといけないと感じるようになる。親とのコミュニケーションは、小さな子供にはとても大事なコミュニケーションに違いない。絵文字やスタンプはそういったコミュニケーションの単純化の流れの中にあると思う。
そういったツールは必要不可欠なものである。東京で電車に乗って通勤することや、水や電気とか、生活インフラと同じようなものだと思う。
でも、僕は問いたい。
(日本で)水道から流れる水を持っていることに自信を持てるのか?
家に居てスマホを充電できる自分を誇れますか?
大半の人は誇れないと思う。僕は誇れない。
同じような絵文字やスタンプを使っていて、「あなたの伝えたい想い」はいいのか?
もちろん、大事な想いを絵文字やスタンプを使って伝えるわけないじゃんと言われるだろう。
でも、よく考えてほしい。
日本語しか喋ってこなかった人が、今すぐにスペイン語をしゃべることができるのか。できないだろう。
絵文字やスタンプを使うということはきっとこういうことなのだ。
僕が言いたいのは、(それはすでに一つのインフラ的な重要なツールになっているので、)絵文字やスタンプを使うな!ということではない。
ただ、本当に大事なことを伝えなきゃいけないときに、洗練されたあなたなりの文脈で伝えるために、使いずらい言葉だからこそ、普段から言語化するということを考えてみてはどうだろうか。