ゴミ拾いをする大義その3
私も地元は東京の中目黒で中目黒村美化委員会と言う任意団体を結成して、毎月2回、目黒川沿いの清掃をしたり、海外ですとミクロネシア連邦でマイクロクリーンアップキャンペーンというこれまた任意団体ですが、環境活動・清掃活動をする団体を結成して、たくさんの活動をおこなっています。
しかし拾っても拾っても、すぐにゴミが出ている状況を見ると「ゴミ拾いは“焼け石に水”では?」と思うことも多々あります。
そこで何のためのゴミ拾いをするのか?その目的というか、大義を考えてみました。その第3回目になります。
過去の投稿は以下からご覧ください。
ゴミ拾いをする大義、その三つ目として、「ゾーニングの確保」だと思っています。
本来、生き物(動物、最近、ウイルス)は原生の自然に住むべき存在です。そして人間は都市に住んでいます。
人間と生き物とでは住むべき生活環境が違うのです。
その境界には、かつて里地里山というものがありました。しかし農林業をやる人も減り、不適切な土地開発によって原生の自然と都市との境目がなくなってきています。
つまり生き物と人間とが隣り合わせで生きていく状況ができあがってしまっています。
原生の自然に生きる生き物の中には細菌やウイルスを体内に持っている種もいるでしょう。
そして原生の自然に生きる生き物にとって、境目がなくなれば都市というもが見えやすくなります。
「都市には俺たちの食べ物(ゴミ)がたくさんあるぞ。今から都市に出ていって食べに行こう」なんて言っている生き物はたくさんいるでしょう。
彼らが出てくれば人間との接触の機会も増えていきます。
その結果、人間の世界にパンデミックがおこるのではないでしょうか?
生物多様性の考え方の中には、人間にとって病原になる細菌やウイルスの存在も考えられています。
別の言い方をすると彼らにも生きる権利があるのでしょう。
そこでゾーニングという考え方が出てくるわけです。
彼ら、つまり生き物、細菌、ウイルスの住処をしっかりと確保してあげましょう。そして人間が生きる都市という環境もしっかりと守っていきましょう。そうするば彼らも都市に出てくることはありません。
そのためには私たちは、特に食べ残しなどのゴミを散らかしてはなりません。そのためにもゴミ拾いは重要だと思っています。
ゾーニングについては、良く五箇公一先生(国立環境研究所)がおっしゃっています。
氏からこの言葉を聞いてすごくすっきりしました。
ゴミ拾いは焼け石に水だと思っても、生物多様性の保全(第1回目投稿)、対海外(第2回目投稿)と考えていけば、案外やる目的ってあるなと感じませんか?
さて次回は第4回目になります。乞うご期待を!