人生を変えた島国ミクロネシア連邦を訪ねて⑤/ミクロネシアを題材にした本
前回の記事は以下からご覧ください。
コロナで行けないなら今のうちに旅の予習に読書を!
ミクロネシアと言う地名は何となく聞いたことはある。しかしミクロネシア連邦と言う国があるとなると聞いたことがないと言う人が多くなる。
実際にコロナが明け、自由に行けるようになったら行って見てください。
しかしガイドブックもないのが現状。なのでここではミクロネシア連邦を知るには良い書籍をいくつか紹介していきます。
まずひとつ目が上の書籍です。日本人として一番最初にミクロネシア連邦に渡った日本人、森小弁の伝記になります。
ミクロネシア連邦と書きましたが、まだこの時は独立国になっていなかったのでミクロネシア連邦と言う呼び方は間違いですね。
高知の土佐藩出身の彼は南進論のもとミクロネシアへ、父島を経由して向かいました。そして現地の女性と結婚し、多くの子供を残しました。森家は今でもミクロネシア連邦チューク州にはその子孫がたくさんいます。
詳しくは本を読んでみてください。
下のユーチューブは横浜の氷川丸を見に行った時の模様です。この時、登場していただいているのが駐日ミクロネシア連邦大使館の公使、ロジャー・モリ氏で森小弁の血を引く方であります。
2作目は以下です。
ミクロネシア連邦のチューク諸島はその昔トラック諸島と呼ばれていました。その場所は地形を生かして日本の海軍の軍事基地になっていました。
トラック空襲は1944年の2月17日、18日に米軍によっておこなわれた攻撃です。これによって環礁内に停泊していた艦船、約70隻が沈められたそうです。そしてこれはのほとんどは軍艦ではなく、徴用された民間の船であります。
戦争の記憶を風化させないためにも呼んでおきたい一冊と同時に、チューク諸島はレックダイビング(沈没船ダイビング)では世界的に有名です。潜る前に読んでおくと良いでしょうね。
3冊目は森小弁と共にトラックに渡った相澤庄太郎氏の息子、相澤進氏の伝記であります。
相澤庄太郎氏はトラックで現地の女性と結婚し大酋長になりました。これは森子弁も同じで、みな婿入婚し出生していきます。その庄太郎の息子進は日本のプロ野球黎明期にピッチャーとして活躍した選手であります。高橋ユニオン、毎日オリオンズなどで投げていたらしいですが、成績はそれほど振るわなかったらしいです。しかし日本とミクロネシア連邦を繋ぐ重要な役割を務めました。
ちなみに相澤家は神奈川の藤沢の出で、今でも藤沢には相澤の姓が多く残っているそうです。もちろんチューク諸島に行っても森家同様たくさん残っています。
その他、少ないながらも書籍は色々と出ていますので、読んでみてはいかがでしょうか?
続きは以下。
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