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「100分de名著」で学ぶニーチェ「ツァラトゥストラ」4目その1

※NHKオンデマンド、U-NEXTなどの動画サイトで、ご覧いただけるNHK番組「100分de名著」を元に、学んだり、感じたりしたポイントをお伝えしています。
出演者:
司会 --- 堀尾正明さん
アシスタント --- 瀧口友理奈さん
解説者 --- 西 研さん
ゲスト--- 斎藤環さん

1.前回までの振り返り

ニーチェは、主人公ツァラトゥストラを通して、自らの思想を説きました。

「神は死んだ」

ツァラトゥストラは、キリスト教の価値観が崩壊しつつあることを、人々に知らせます。
そして、これまでの価値観に頼ることなく、創造的に生きる存在、「超人」を理想としたのです。
超人になるための最大の関門は、苦しみは何度でも巡ってくるという、「永遠回帰」を受け入れることでした。
ニーチェは、人間が生を肯定するには、どうすれば良いかを、徹底的に考え抜きました。
今前向きに生きるために、ニーチェ の本を手に取る人が増えています。
ニーチェの言葉はなぜ現代人の心を揺さぶるのでしょうか?
ニーチェの哲学から、先の見えない明日を生きるヒントを探ります。

2.時代に翻弄されたニーチェ哲学

第1回から第3回までは、ツァラトゥストラの物語と、そこに込められたニーチェの哲学を読み解いてきました。
今回は、現代を生きる私たちにツァラトゥストラの思想が、どう役に立つのか、ということをテーマにしていきます。

ツァラトゥストラという本は、ニーチェが出版したときは、当時の人には誰にも見向きもされなかったと言ってもいいくらい、無視されたそうです。
この本が書かれたのは、1880年代、19世紀の末なのですが、全く人気がなく、見向きもされませんでした。
ニーチェが精神を病んでから、だんだん人気が出てきて、20世紀になると大変注目される思想になってきます。

スイス南東部の保養地、シルス マリア。
ニーチェがツァラトゥストラの着想を得て、その一部を執筆したところです。
ツァラトゥストラは当時人々の理解を超える内容から、ほとんど見向きもされない書でした。
最終巻に至っては、40部程をニーチェが自費出版しただけだったと言います。
その後ニーチェは精神を病み、思想家としての活動が全くできなくなります。
錯乱状態に陥ったニーチェが最晩年に書いたメモが残されています。
意味不明な言葉や記号が無秩序に描き散らかされています。
病に倒れた晩年から20世紀にかけて、ニーチェ の思想は、次第に認められるようになります。
19世紀の古い価値観を打破したいと考えた、ヨーロッパの新しい知識人が、ニーチェに共鳴し始めたのです。
ところが、1930年代になると、ナチスによって、ニーチェの思想が歪められます。
強者が弱者を支配することを肯定する思想と誤って解釈され、ユダヤ人迫害の正当化に利用されたのです。
第二次世界大戦後、ニーチェに再び光が当てられます。
近代の価値を転換する思想として、特にフランスの哲学者や批評家などに注目され、戦後の新たな思想の源流となったのです。
歴史の波に翻弄されながら、読み継がれてきたニーチェ。
現代では、読者の裾野が広がり、日本の若い世代にも、大きな影響を与えています。

歴史の波に翻弄されてしまったというのは、なにか原因があったのでしょうか?

ニーチェの哲学は比喩が多いです。
超人という言葉にしても、何のことなのかと思いますし、いろいろな読み込みもできます。
ですから、ナチスにも利用されやすかったことがあると思います。
ただ、20世紀後半になると、もともとの持っていたモチーフがきちんと評価されるような状態になってきていると思います。

3.末人の生き方に近づきつつある現代人

とにかくニーチェの哲学は評価は高まっていて、今日本の若い人を中心に、ニーチェの本も注目されています。
現代の私たちの生き方に、ニーチェの考え方をどう活かしていくかを考えていきたいと思います。

ここで、精神科医のゲストが紹介されます。
ゲストの方は、ひきこもりなどを生み出す現代人の心の闇に、日々向き合っています。
先の見えない閉塞感に覆われた現代の日本。
そんな今こそ、自分を肯定することを促すニーチェの哲学が有効だとゲストの方は考えています。

ゲストの方は、ツァラトゥストラを学生のときに、初めて手にしたのだけれども、学生時代は誰でも捻くれたところがあるので、アポロン的な哲学ではなくて、もっと享楽的なところ、いわゆるディオニス的な部分に、すごく魅力を感じたと言っています。

アポロン的とか、ディオニス的という言葉は、ニーチェが「悲劇の誕生」という最初期の書籍で、区分していた言葉で、アポロン的という言葉は、理性的とか、論理的とか、いうことに組み立てられた世界であり、一方のディオニス的という言葉は、もっと人間的に物事を考えようという、感情とか享楽的なことを指す言葉です。

また、ゲストの方は精神科医ですが、その立場から見て、ニーチェは、明晰さがある中にも狂気を孕んだところがあり、狂気に至るまでの天才と紙一重の存在というところに、職業柄、魅力を感じると述べています。

ゲストの方にとっての、「これぞ、名文!」というニーチェの言葉は、「末人」(ラストマン)に関わる、次の一節です。

われわれは幸福を発明した
「末人」はそう言ってまばたきをする。
彼らは生きるのにつらかった土地を去った。
ぬくもりが必要だからである。
さらに彼らは隣人を愛し、隣人に体をこすりつける。
ぬくもりが必要だからである。
(「ツァラトゥストラの序説」より)

末人について、非常に毒のある表現になっていて、まばたきをするという部分が、動物的で、小人物というか、軽蔑される存在としての印象を与えてくれます。
ぬくもりという言葉は、単なる快感で、緊張を解放するだけのリラックスであり、ぬくもりは、良い意味ではなくて、単純に、ゆるい世界でまったりとしたい、超人のように自分を鍛えていきたいというきっかけはそこにはない、ということを表していると、ゲストの方は説明しています。

この部分は今の世の中と通じているところはありますか?

ある種の予言の書と言える部分があり、今の一部の人々のライフスタイルが、限りなく末人的な生き方に近づきつつあるのではないかと、いう見方を、ゲストの方はしています。
ゲストの方は、青春期に、この言葉に出会い、自分のことを言われているような気分になり、自分もこのようになってしまうのではないかと懸念していたと言っています。

次回では、出演者の方それぞれの、「超人」についての見方を紹介していきます。

4.ここまでの感想

ニーチェの思想は、元々自分の生をいかに喜びで満たすか、という問い掛けから生み出されたものでしたが、時代によって、人々の受け取られ方が全く異なるものであることに、驚きを覚えました。
また、解釈が難しいとされる思想であったがゆえに、逆に戦争に利用された過去もあったことを知り、思想は思想家の手を離れ、本人の意思に関わらず、悪用される怖い側面もあるのだということを知りました。

私たちはそのような過去があったことを学んだ上で、ニーチェの思想を、人がより良い人生を送るためのヒントして活かしていくべきで、それが、ニーチェに対する葬いになるのではないかと思いました。

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