美しくない戦後日本の風景 02: 神津朝夫
神津朝夫という歴史学者がいる。茶道史が専門で、『千利休の「わび」とは何か』(角川学芸出版、2005年)にて、茶道を嗜む人たちが皆信じていた千利休についての逸話のほとんどが作り話だった、ということを論じ、読んだ茶人のおそらく全員に衝撃を与えた人である。
そんな、日本の風景の善し悪しには無関心そうな歴史学者が、別の著作でこんなことを書いている。
繊細な美意識と文化的見識をもつはずの茶人こそが、ほんとうなら景観の保存、町並みの美化、あるいは公園の整備に積極的に関わっていてもよいはずだ。もし自分だけの「市中の山居」を創ろうという発想がなければ、そうしていたかもしれないし、結果として日本の歴史ある都市はこれほど醜悪にならなかったかもしれない。(神津朝夫『茶の湯と日本文化』(淡交社、2012年), 223頁。太字は引用者による)
茶道を習い始めて一年以上経つが、茶人が「繊細な美意識と文化的見識をもつ」という意見には全くもって同意する。そういう茶人たちが、第二次大戦後、なぜ、建設省などの役人にならなかったのか、大手ゼネコンの社員にならなかったのか、残念で仕方がない。
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