去年からの手紙
実にご丁寧に
去年の今日
自分で投稿した内容がSNSにはあがってくる
一年たってもあんまり変わってないなぁとおもいながら読み返していたら、一つだけ大きく変わった部分を見つけてきゅうっとなる
この隙間は世界の証
何十年何百年と続いてきたことが
簡単に変わってしまったから
また簡単に変われることの証
・・・
2019.12.27
いつも単独で訪問し
インタビューをし
録音し
撮影し
電話し
移動し
次の人に会い
話をし
録音し
撮影し
と繰り返しているので
調査地での自分の写真が無い
特にイミゴンゴの工房訪問の時は
おばあと向き合う時間が嬉しくって
ことばをかわすことに没頭していると
撮影も録音も忘れていることがある
私を乗せたバイクタクシーがぶるんと工房前に止まると
中から声がする
運ちゃんへの支払いで財布をゴソゴソしている間に
もうそこにはおばあが両手を広げて待っている
掃除機のコードを収納するように
私はきゅるきゅるっとそこへ収まっていく
細い腕
細い肩
シャンとした背中
長い 長い このハグの時間が大好きだ
抱きかかえながらぶんぶんと左右に身体を振って
互いの存在を確かめ合う
肩に顎を乗せ
肩に顎を乗せられ
隙間なく一体となった貌で
挨拶をしあうと
首元の振動が直接届き
声よりも深くことばを渡し合える
強い 強い このハグの時間が大好きだ
挨拶だけで30分
一番はじめに訪問した時から比べて
伸びる一方
慣れてくると短縮できる
慣れてくると早くなる、という現象はそこここで耳にする社会のグランドルールだが
真逆を行く時間の流れをここで発見する
ちいさな
電気も水道も窓ガラスもないこの工房が
おおきな
文化の潮流を引き受けている
発祥地に根差し
土地の歴史を吸収しながら
彼女たちは少女の時から作り続けている
結果 物品としてはイミゴンゴだが
そこに含まれるものは「イミゴンゴです」だけでは語り尽くせない
人が場所に生き
そこで為される総体を文化と呼ぶならば。
どの国のどの地域にもそれはある
そこに生きる誰の中にもある
新しい文化に出会うと
ぱっと見の目新しさや独自性はありながらも
一歩二歩と近づいていくとすぐにその普遍性に気付く
あちら側も こちら側も
文化というコードを持っているからだ
行ったことのない国の絵を見て
「あれ?日本の○○みたい」と思ったり
知らない民族の歌を聞いて
「なんか癒される〜」と思ったり
遠い場所の土器を見て
「ホントに遠くの?別に違和感ない」と思ったり
おもての形は違っても
その中ではあっという間にコネクトできる
そういう行き来が、文化には可能だということ
言語が違うから通じ合えない
宗教が違うから分かり合えない
信条が違うから近寄れない
ルールが違うから協働できない
そういう理由は
文化の前では一気に瓦解する
おもての話ではないからだ
その中の、はなしをしよう
その中の、関わりをしよう
そんな一助になったらと
日本で再びイミゴンゴ展を開催します
おもてはルワンダの文化だけど
ほんとうは。
(この写真は、この日通りかかった帰省中の大学生が撮ってくれた貴重なショット)
・・・
イミゴンゴとは
ルワンダの伝統牛糞アートのことです