noteの中の『さすらい駅わすれもの室』
忘れられるようなささやかな出来事を書き留める
わたしがnoteを始めるきっかけをくれた西田梓さんの初投稿「言葉から広がる新しい世界」は、目の見える人が見ている世界を言葉で伝えることで、その人らしさも加わった世界が梓さんの中に広がっていくという気づきを瑞々しさと温かみのある文章で綴っている。
言葉にすることで見方が広がる。世界が広がる。そこに、その人らしさという「色」を加えたところが、足し算の人、梓さんらしい。
「視界に入る」というのがどういうことなのか想像を巡らせるくだりを読んで、「視界がない」のがどういうことなのか想いを馳せた。目の見えない梓さんが見ている世界に気づかされることは多い。
4月24日の梓さんのツイートは、いつも歩いている道での「違和感」を言葉にしていた。
梓さんには、カラオケボックスから聞こえる音や飲食店から漂う匂いが「今どこを歩いているか」の目印になっていた。休業で静かになった街を、マスクをして歩いていると、音目印も匂い目印も見つけにくく、いつもの曲がり角を見失ってしまう。
店も人も活動をひそめた街の空気、いつもと違う気配を、こんな風に感じ取るのか。梓さんならではの感覚、今ならではの気づき。それを膨らませて読ませて欲しいと感想を伝えた。
他でもない自分が書き留めないと、時間に押し流されてしまうささやかなこと。そこに、自分にしか書けない物語の「種」があると思う。
「昔は大事だったものが今は大事じゃない」を書きたい
娘が小学生のとき、国語の授業で「随筆」を習い、自由なテーマで一編書くという宿題が出された。
「何を書こうかなー」と考えている娘に、「みんなが書きそうなこと書いても埋もれちゃうからねー。最近なんか面白いネタなかった?」と助け舟を出した。差別化を図ろう、目立とう、ウケようと狙ってしまうのは、広告代理店出身のスケベ心だ。
すると娘が思いがけないことを言った。
「保育園のとき友だちにもらった手紙が床に埋もれていたんだよね」
問わず語りにポツリと言ってから、続けた。
「昔大事だったものが、今は大事じゃなくなっているんだなって気づいたことについて書きたい」
驚いた。物書きの先輩として新米に手ほどきしてあげようと思っていたら、不意打ちで喝を入れられた。
そうだよ。随筆って、エッセイって、そういうもんだよ。審査員にアピールする打ち上げ花火じゃなくて、手で風をよけて守らなきゃ消えてしまう線香花火を、ぽとりと地面に落ちてしまう前に書き留めることなんだ。
そうだそうだと興奮するわたしを娘は不思議がり、不気味がっていた。
そして、宿題の随筆を書いた。
掘り出し原稿「おさないころの宝物」
一年生の時の漢字ドリル、昔集めていたシール、「ママのばか!」と書かれたボロボロの消しゴム…。それらの中に「たまちゃんへ」という文字が目にとびこんだ。
取り出してみると、それは保育園の年中の時に同じ組の友達からもらった手紙だった。私は今、小学六年生だから七年前の手紙ということになる。
手紙には漢字が使われていなくて、ひらがなもそうとうぶかっこうな形をしている。例えば、すてきの「す」が「す(鏡文字)」になっていたり、あそぼうねの「ぼ」が「ぼ(鏡文字)」になっていたりしていた。
そのころ、保育園では手紙交かんが流行っていた。 毎日、だれかに手紙をもらったり、あげたりした。私が見つけた手紙も、そんな一通だ。
当時は保育園で手紙をもらうと、箱に入れて大事に保管していた。でも、その箱は三年生の時の母の日に、お母さんにあげてしまった。箱からとび出した手紙は、いつの間にかがらくたになってしまった。
床におちた手紙と再会して、私は昔は大事だったものが今は大事じゃない、という、不思議な気持ちになった。
七年前の私と今の私は同じ私のような気持ちがするけど大事なものが移り変わっているんだな、と感じた。
七年前の私と今の私は何が変わったのだろう。例として、二つ取り上げられる。一つ目は、持ち物が増えたこと。二つ目は、習い事がいそがしくなったこと。こうして、小さなささやかなものでも大切に思う、心と目がうすれていったのだと思う。
昔の手紙を見てこんな気持ちになったことは忘れないでおきたい。
額に飾る代わりに文字起こし
はい。まったく。母ちゃんは娘の言葉に背筋が伸びたことを忘れないでおきたい。額におさめて飾る床の間がないので、文字に起こして貼りつけておく。
ちなみに文字起こしに使った文字認識アプリ「Envision AI」は、梓さんが料理をする動画で知った。
形状も手触りも同じで区別がつかない、おなじみの平たい紙箱入りのカレールーとハッシュドビーフのルー。パッケージにスマホをかざすと、AIがスラスラと読み上げる。
未来が来てる!と動画を観て驚いた勢いでアプリをダウンロードした。オランダで開発されているのに日本語が堪能で、そこらの大臣より漢字に強い。縦書きの原稿用紙に手書きしたものをほぼ完璧に読み取った。英語やフランス語やドイツ語はもちろん中国語の簡体字とピンイン(発音)も読み取ってくれる。
バリアフリーは、みんなにやさしい。
取り戻したい「わすれもの」のある幸せ
ずいぶん前に『さすらい駅わすれもの室』という掌編シリーズを書いた。
代わりのきかない特注の帽子が見当たらない婦人。ダンナさんが落とした指輪を探している未亡人。楽譜をなくして弾けなくなったピアニスト。特別な地図をなくしたサンタクロース……。
どこかの駅の片隅での忘れられてしまうようなささやかなやりとりを「わすれもの室」を守る「わたし」の独り語りで振り返る物語は、こんな風にはじまる。
ラジオドラマの依頼を受けて書いたものだが、企画が立ち消えになり、時が流れた。
閉じられたままだった物語のページをめくってくれたのが、言葉と音楽のユニット「音due.(おんでゅ)」だ。
Eテレアニメ「おじゃる丸」で出会った声優の西村ちなみさんに声をかけていただき、2ndライブに物語を寄せたのが2016年2月のこと。メンバーにあて書きした『ギターがピアノに恋をした』と合わせて、バレンタインデーのお話をとリクエストいただき、「わすれもの室」のことを話したら、「わたし」の静かな語り口を気に入ってくれた。
「年に一度のとくべつな日」にわすれものを取りに来る持ち主が「女性」か「男性」かで「わたし」との関係性も会話の雰囲気も結末も変わる2バージョンの『苦いブラウニー』篇が生まれた。昼の部と夜の部で違う味わいを楽しんでもらった。
季節がひとめぐりして、2017年4月の音due.関西ライブで新作をとリクエストをいただき、『世界にひとつだけの帽子』『指輪の春』『迷子の音符たち』の3篇を寄せた。
「クラシカル・ストーリーズ」をテーマにした2018年秋の音due.5th ライブでは、シンデレラを思わせる落とし主が登場する『もう片方の靴』篇を寄せた。
『さすらい駅わすれもの室』のページが再びめくられたのは、ステイホームが呼びかけられ、音due,のライブも中止になった2020年の春。西村ちなみさんと大原さやかさんのリモート朗読と窪田ミナさんのリモートピアノの「音(おん)ライン音due.」で『世界にたったひとつの帽子』と『指輪の春』の2篇が届けられることになった。
音ライン音due.第1弾『世界にたったひとつの帽子』
音ライン音due.第2弾『指輪の春』
動画配信が始まって2週間で再生回数は3桁。わすれもの室を訪ねる人が足跡を残すようなペースだ。
オペラもオーケストラも無料で配信されて忙しいさなか、ライブを予約して会場に足を運ぶよりは手軽になったとはいえ、小さな物語のために立ち止まってくれる人は貴重だ。ネットの深い森の中で入口を見つけてドアを開けてくれた人たちが、探していた何かや忘れていた何かを取り戻せたら、「わたし」はうれしい。
音due.の5thライブのパンフに寄せたメッセージは、こんな言葉で始まる。
掘り起こされ、解き放たれるときを待っている物語は、誰の中にもある。それを言葉に書き記して、ここで待っていますよと小さな看板を掲げていると、忘れた頃にドアの開く音がする。noteという世界は、いくつもの『さすらい駅わすれもの室』でできているのかもしれない。
noteで読める「わすれもの室」
(2023.3.7追記)その後、原稿をnoteに順次公開。さらに新作や外伝も誕生。clubhouseでの朗読歓迎。
clubhouse朗読をreplayで
2022.7.22 宮村麻未さん
2023.3.7 宮村麻未さん
2023.4.24 宮村麻未さん
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