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彼と彼女の屋上庭園

屋上庭園は雨に濡れていた

誰もいないねと彼が言う
誰もいないねと彼女が言う

ひとつの傘を分け合って
ふたりは肩を寄せ合っている
雨が打ちつけるウッドデッキを
歩く足元に水が跳ねる

ソファと呼ぶのかベッドと呼ぶのか
スプリングマットを4つ
田んぼの「田」の字の形に並べたものが
デンと置かれて雨に濡れている

座っちゃう?と彼女がおどける
座っちゃう?と彼は戸惑う

結局ふたりは座らなかった
ソファみたいなベッドみたいな
田の字のマットの前を通り過ぎた 

と思ったら
彼女が彼の手を取り
次の瞬間 
ふたつの背中が
濡れたマットに倒れ込んだ

ふたりは笑い合った
声は聞こえないが
体が小さく揺れている
笑っているリズムだ

空を向いて雨を受け止めている
ふたりの顔も
笑っているにちがいない

あんなにびしょびしょになって
そのあとどうするのだろう

着替えなんて
持ち合わせていないだろうし
買いに行くにしても
水をポタポタ滴らせて
エスカレーターを
降りていかなくてはならない

小さな水たまりを点々と作りながら
映画館のロビーを突っ切ったら
すれ違う人たちは
なにごとかと振り返るだろう

お店の人たちもギョッとするだろう
商品を濡らされたら大変だ
着替えを買いたくても
お店に入れてもらえないかもしれない

そんな後先のことなんて考えないで
びしょ濡れになれるのが恋なのだ
若さなのだ

今だけここだけあなただけ
好きな人と好きなことするだけ

物思いにふける物書きの前には
びしょ濡れの彼も彼女もおらず
田の字に並べられた
ソファみたいなベッドみたいなものが
じっと雨を受け止めていた

そうね 今は
若くたって恋してたって
無茶なことはしない
通りすがりの誰かに
勝手に撮られて広められて
笑い者にされてしまうから

いっそ見せびらかすなら話は別
デジタルタトゥーになる覚悟で

今だけここだけあなただけ
それはもはや遠い昔のおとぎ話

屋根の下のテーブル越しに見える濡れたウッドデッキ。その上に置かれた、ソファみたいなベッドみたいなもの。短いシングルベッドを4つ「田」の字に並べたような大きさ。

あとがき

日比谷でミュージカルを見たあと、半券サービスでワイン一杯無料のお店のディナー営業が始まるまでの間、時間潰しに初めてミッドタウンの屋上へ。屋根の下から雨に濡れるソファのようなベッドのようなものを眺めていると、傘を差したカップルが通り過ぎ、わたしの妄想スイッチを押していった。

屋上庭園の眺め。雨に濡れて鮮やかな芝生越しに見える、緑いっぱいの屋根。
雨雲に曇った空の下の屋上庭園。手入れされ丸く整えらた植栽。透明の衝立壁越しに見える、雨に煙るビル群。

後日談

偶然見つけて、気づいたkanaさん。

乾いたら、こんな色。

8月17日、晴れた土曜日。

日比谷に用があり、ミッドタウンの上まで上ってみた。

通り過ぎる人が、かわるがわる腰を下ろしていた。

わたしも、パフっ、いや、バフっと座ってみた。もう少し涼しくなったら、ここで雲を眺めるの、とても気持ち良さそう。


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