博報堂を辞めて4年。失敗と胸一杯の学び。
気づけばこのブログを書いてから丸4年が経とうとしてる。
https://s.ameblo.jp/masakichi3103/entry-11744561831.html
ぶっちゃけてしまえば、この4年間は決して胸を張れる時間ではなかった。
一時は一文無しになって、路頭に迷ったことも。
けれども、“好き”を仕事にした以上、逃げたくはなかった。
とにかく“続ける”。
意地でも“続ける”。
耐えて堪えて“続ける”。
唯一誇れるとすれば、“続ける”過程でしてきた果てしない失敗の数々と、そこから得た胸一杯の学びの数々。
『個人』がひとつの媒体になり、メディアになっていく時代。
組織からの離脱や、起業、フリーランスの道を選ぼうとしている人も多くいる今日。
そういった人々へのちょっとしたヒントになれば良いと思い、久しぶりに真面目に筆をとります。
①育ってきた環境の差異
■自身の環境
自分自身、ありがたいことに中学から中高一貫の男子校に通い、予備校生活を経て慶應義塾大学文学部に入学。卒業後は博報堂という大手広告代理店に入社することができました。
固有名詞を出してしまえば、
小学校の時は日能研に通い、高校時代はZ会東大マスターコース、浪人時代は駿台予備校(聖地・お茶の水)に通っていました。
大学に入ればこれらの塾や予備校の出自が話題になり、「あの先生はこうで、あの授業はこうで」なんてことが話題に上がりました。
大学時代はアホなやつもいるものの、基本的にはクレバ-で何事においても計算高い、いわゆる慶應生が多くいました。
博報堂に入社したときは、同期は120人。
しかも全国各地の大学からの精鋭が集まって、さながら「知の結集」といったイメージ。
素直に語学力もさることながら、頭の回転がとにかく皆早かったのが印象的でした。
いわゆる、1を伝えて10響く…ような感覚。
ただ、その中でも自分のやりたいことへの情熱と、ある種のパワハラ、一度きりしかない人生の中での挑戦ということで、会社を辞めてプロレスラーになることに。
※詳しくは前述のブログをご覧ください。
■衝撃
覚えてる方もいらっしゃるかもしれませんが、やはり博報堂を辞めた時は、前述のブログもバズり、反響も大きかったです。
雑誌やテレビからの取材や出演依頼も多くありました。
そんな中で感じたすさまじい衝撃。
それはある先輩プロレスラーに言われた一言。
「博報堂ってどこの本屋?」
マジか、、、、というのが本音でした。
しかしながらフタを開けてみるとそんなことはざらで、例えば東洋経済に記事が載っても
それを読んで声をかけてくれるのは慶應義塾のつながりや博報堂つながりの人ばかり。
プロレスラーからの反応は…ゼロ。
育ってきた環境の違いをまざまざと感じたわけでした。
■学び
今思うと、このときにしっかり芸能プロダクションに入っていれば……というのが、本音です。
当時所属していたプロレス団体では、世間のバズり具合は完全に無視、、結局この美味しい瞬間を一度も反映してくれることはありませんでした。
しかしながら、環境や人のせいにしても仕方ないので、この時点でしっかりと芸能プロダクションに入っていればプロレス以外の仕事の幅が、今少しは違っていたんじゃないかなと思います。
ただ、その時点では社会的な知識も経験も浅かった自分の責任ですね。
何かでバズった人は、その瞬間のチャンスを逃さないことをオススメします!!
■差異以上の価値
という感じで、プロレス団体を渡り歩く中でも
10話して1しか伝わらない…ということはたぶんにして経験してきました。
しかしながらそれ以上に価値があることも。
それは“天才”たちとの出会いです。
自分はハッキリ言ってこの世界では凡人です。
プロレスラーとしては凡人。
しかしやはりこうして人前に出る仕事をしていると、すべてを感覚でこなして、一瞬にして周りを魅了してしまうような天才がいます。
これは、今まで生きてきた環境では感じ得なかった出会いと感覚。
実名は出しづらいですが、そうした人から聞く話は、理屈を超越してビビりとくるものがあります。
■仕事の仕方
そうした環境の違いを感じながらも天才が混在するコミュニティにいると、仕事の仕方も変わってきます。
●「ほどよい距離感」をつねに保つこと。
●「巻き込む力」をつけていくこと。
この二つが、個人でフリーランスで、好きなことで生き抜いていく力なんじゃないかと最近強く感じています。
この仕事の仕方については、別の機会にブログにまとめたいと思います。
②発信力
気づけばこの4年間でYouTuberが子供のなりたい職業ランキングにランクインするほどに。。
それほどまでに、ある意味いまは「個人」で生きられる時代になってきました。
YouTubeにしてもTwitterにしてもインスタにしても、とにかく“発信”することで、それが誰かにとっての“いいね”(=憧れ)になり、誰かにとっての“いいね”がその人の存在を職業たらしめる時代となってきました。
振り返ってみれば、自分が学生時代にジムでこれは流行る!!と思ったフィジーク競技が、ベストボディジャパンなどの影響で瞬く間に若い世代が憧れる競技に。
当時ジムで知り合った友人は瞬く間にフォロワー2万人のインスタグラマーになっていきました。
そんな時代の風を真横で感じつつ、突き抜けられなかった自分の不甲斐なさ……
でもその敗因のひとつは間違いなく
“発信”ということだったと思います。
たとえばこうしたブログなんかも、モノを書くことが好きにも関わらず、続けてこなかった…。
自己責任です。
特に自分の場合はプロレスラーとしてのスペシャルが、こうしてリングの外にしかないので、そこは深く反省中。。。
2018年は、ブログに備忘録、ちゃんと書きます。
個人で“好き”を貫きたい人はとにかく発信することをやめないことをオススメします。
③それでもとにかく“続ける”こと。
で、ここまで4年間過ごしてきて思ったことは、
どんな人が一番強いかっていうのは
“続ける”ことを辞めない人なんだ。
ということです。
“好き”を仕事にすることは実は誰でも出きるわけで、それを辞めることも簡単。
一番難しいのは“続ける”ことなんです。
どの世界も“続ける”ことを止めなかった人の目ヂカラは半端じゃないし、発する言葉もとにかく強い。
そこに様々な苦労や想いが集約されています。
たくさんの失敗から得た学びとしては、
“続ける”ことを止めちゃダメ。
だから明日も一生懸命“続ける”しかないんです。
で、“続ける”ためにお金も必要で、人とのつながりだって必要になってくる。
そうした具体的な「続け方」=「好きなことでサバイブする術」を、これからどんどん紹介していけたらなと思います。
お正月に長文に付き合っていただきありがとうございました。