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うつ病になったときのはなし

今回は、私がうつ病になった頃のはなしを軽く書いていこうと思います
あまり詳しく細かく書いてしまうと個人の特定に繋がりそうなので、フェイクもいくつか入れます、すみません。

まず、わたしに体の不調が訪れたのは、職場に新しく入った年上の後輩の女性が、私だけを無視するようになったということに気づき始めた頃でした。

初めの頃は、まず、不眠が来ました。
どんなに疲れていても眠りにつくのが難しくなり、酒を飲んで眠れたとしてもアラームが鳴る前に目覚めてしまう。体も心も癒すことができないまま朝を迎える日が増えていきました。
しばらくすると、仕事のシフトがその人とペアだとわかると、前日からギリギリと締め付けるように、お腹が痛くなるようになりました。
もともとストレスに弱く、不眠がちで、胃腸を壊しやすかった私なのですが、かかりつけの内科医から心療内科を受診するよう勧められて初めて、「もしかして今までよりも酷いことになっている?」と思いました。

体調不良を隠して出勤し続けた私に対して、年上の後輩からの嫌がらせは、日々少しづつ進化していきました。

最初は、挨拶を無視する。
聞こえるように陰口を言う。
自分のミスを私になすりつけて、無断で帰る(職場に無断で早退していること自体が問題行動なので、この事については次の日に上司から叱られていました)。
私とペアの日は仕事を堂々とサボる(私が彼女を注意するよりも、彼女の分も仕事をしてしまった方が早いと考えて動いてしまっていたので、彼女がサボる確率は日々どんどん上がっていきました)。
彼女が他の職員と揉めた際、仲裁しようと声をかけると、ゆぎさんは何も考えてないから私が何に対して怒っているかわからないんだ、わかるわけがないんだ、と泣き出し、無断で帰る(これに関しても、職場に無断で……という点が問題とされ、今度は上司よりも上の方に呼び出しされ、叱られたようでした)。
仕事が上手くいかないという理由だけで怒りに任せて備品をわざと床に投げつけて破壊し、それについて私に監督責任があったと言い張り、代理で始末書を書かせる。
作業中の私の背後にそっと立ち、わざと耳元に近づき大声で話しかけ、ミスさせる。
私が重い物を運んでいる最中、立ち塞がって道を塞ぎ、「すみません、通らせてください!」と苦しみながらお願いすると、げらげら笑い出し、そのままどかない。
私自身に向けて備品を投げつけてくる。
等……

こんなの社会人ならよくある事だ、こういう人はどこにだっている、気にしなければいい、と、イラッとしてもなるべくその日に起きたことを深く考えないようにして、家に帰ったらすぐお風呂に入り、酒と睡眠薬を飲んで寝るようにしていましたが、段々とそれでも寝付けない日が増えていきました。
中途覚醒もひどく、頻繁に悪夢を見るようになり、眠ることが怖くなり、ほぼ一睡もしないまま仕事へ行くことが増えました。
次第に、朝仕事に行こうとすると、吐いてしまうようになりました。出勤出来ても、最初の数時間働いただけで立っていられないほどの激しいめまいと吐き気に襲われ、冷や汗をかきながら職場のトイレで激しく嘔吐する、などを繰り返すようになりました。
上司と相談した結果、1ヶ月の休暇をもらいましたが、まったく回復しませんでした。
ここまでで、約半年。

1ヶ月後、復職してからも体調が安定しなかったため、上司に医師の診断書を提出し、早番、中番、遅番があるなか、私だけシフトを固定してもらい、遅番の仕事のみにしてもらうようになりました。
そしてついに年上の後輩からの、私への嫌がらせを上司に告発したところ、職員全員が見える場所に「みんな仲良くしましょう」といった内容の貼り紙がなされました。
シフトを組んでくれる先輩にも相談したところ、私と彼女がペア勤務になることがほぼなくなりました。
このあたりから、上司や先輩たちからの嫌がらせが始まりました。

私が上司たちの個室の前を通った直後にくすくすと笑い声が聞こえる。
出勤した私の挨拶に返事をしたのに、その後すれ違うと「あれ、ゆぎさんいたの?」などとわざとらしく声がけされる。
体調不良で休んだ次の日、体調不良の内容を詳しく聞くための面談に呼び出され、勤務時間中に1時間以上の聞き取りを行われ(内容はいつも、とてもプライベートなことまで聞かれ、悔しくて恥ずかしい思いを沢山しましたが、省きます)同僚たちへはその1時間私が抜けた間のフォローなどなく全て私がその責任を負って1時間ぶんの仕事を1人で休憩時間に回すことになり、休憩が取れなくなる。
職場の求人ポスターに、私の許可なく、個人が特定できる写真を提出され、ハローワークなどにも掲示されてしまう。
イベントが行われる際、全員にアイディアを募っておきながら、私の出したアイディアには全て反論し挑戦することさえ許さないが、同僚が出したアイディアは全て許可、挑戦して失敗しても明るい雰囲気で励ます。大丈夫、次があるよ、などの声がけをする時間が設けられるが、その間完全に止まっている仕事を回すために私はその人たちの横で作業をし続ける。
低血圧症、機能性ディスペプシア等の診断がつき、昼に薬を飲んでいる私に、「うちの母も低血圧だったけど定年まで休まず働けていたよ」「お腹痛いだけなら生理と変わらないよね、みんなも辛いから」と声がけをされる。
私だけが1人で締め作業を任されて残業した日、職場の全員が集まり、上司の奢りで飲み会を開いていたことを後日楽しそうに聞かされる。
等……
(今思えば、精神的に追い詰められているせいで、何もかもが自分に向けられた悪意のように感じられ、全て自分に原因があるように考えてしまったことでよりストレスを抱える事になっていたのではないかと思います)

そしてある日、私は耐えかねて、上司のさらに上の偉い方に直接、上司や先輩からいじめにあっている、と言いに行きました。
偉い方はすぐに動いて下さり、上司や先輩、同僚たちへの聞き取り調査が入り、私への嫌がらせをずっと見ていた同僚の証言により、全ての原因となった例の『年上の後輩』の女性はクビになりました。ここまでで約1年。
上司たちからの形ばかりの謝罪がありましたが、いやがらせは止みませんでした。

ある日の受診で、精神科の主治医から、あるテストを受けてもらいたい、と言われます。
受けたテストの結果を見た主治医から
「うつ病ですね」
と、あっさり診断が降り、再び職場に診断書を提出し、私はまた休職期間に入りました。
2ヶ月、職場との関わりを一切断ち、家から1歩も出ない生活をしました。
この頃は、眠れない、食欲がない、食事をしても味がしない、食べても吐いてしまう、何をするにも無気力、何もないのに泣いてしまう、お風呂に入ることができない、突然強い希死念慮に襲われて何にも手をつけられなくなるなどの様々な症状が現れていました。
まずそれらを薬でひとつひとつ抑えていくことになりました。
同時進行でカウンセリングもはじまりましたが、私は初めて会ったその心理士の方に何を話したらいいのかわからず、はじめの頃はただヘラヘラと雑談をしていました。
その方とは徐々に打ち解けていき、職場で受けたいじめについて語ったり、幼い頃から希死念慮があったことや、幼児期に実父や祖母から身体的・精神的に虐待を受けていたことなどを後に話していくことになります。(実父に関しての話は、今後触れるほどの複雑な内容はありません。ただ殴られたり、怒鳴られたりしていただけです。両親の離婚後はなにごともなく過ごしております。祖母との関係はその後の人生に大きく関わってくる話なので、今後の記事でも少し触れようと思っています)

2ヶ月の休職期間を経て、職場の一番偉い人と、その次に偉い人と、その次に偉い人に呼び出され、復職について面談をすることになりました。
人と話すことに強い不安があったため、そのときは母に頼り、面談に同席してもらいました。
結果的に、その日私は一言も発することが出来ないまま、偉い人達に言われるままに、退職することになりました。帰路、面談中必死で堪えていた涙がぼろぼろとこぼれました。
私は全て失ったのだとおもって、泣きました。

うつ病になった頃の話はこのくらいです。

私の好きな小説は、三秋縋の、
三日間の幸福
です。
他にも沢山ありますが、今日はこれだけ教えておきます。
次は、うつ病を治していく過程について話したいと思っています。
ではまた。

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