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復興支援は震災を風化させないこと

今日は教育から少し離れます。
今日、生徒に向けたメッセージを紹介します。

今日は1月17日です。29年前、1995年1月17日午前5時46分、淡路島北部を震源とするマグニチュード7.3の大地震「阪神・淡路大震災」が起きました。29年前ですので、皆さんの生まれる前です。先生たちにも生まれる前だった人もいると思います。

この震災で多くの人が被害を受けたのが神戸市でした。死者6000人以上、負傷者4万人以上という大惨事でした。

先生は地震発生から2か月後の3月17日に神戸市内の避難所に行ってボランティア活動をしました。2か月が経っていましたが、線路が途中で寸断しており、バスに乗り換えて到着しました。

街の中心部では、少しずつ店が再開していましたが、住宅の一階が潰れた状態のままであったり、屋根にはブルーシートがかけられたままであったりと、元の状態に戻るのにどれだけ時間がかかるのだろうと思いました。

 避難所となっていた小学校には、運動場には自衛隊の車両や炊き出しのテントが張られ、体育館や教室で被災者の方が生活していました。学校が再開していたのかどうかも分かりません。印象的だったのが、活動場所で小学生が外の遊具に座って昼ご飯を食べていたときの出来事です。先生が近くに行って声をかけ、隣に座ったとき、遊具が少し揺れました。その瞬間の小学生のビックリした表情を見て、地震の揺れの恐ろしさはまだ残っているのだと感じました。

 阪神・淡路大震災後も、2011年3月東日本大震災、2016年4月熊本地震など、各地で大地震が起き、そして、2024年元日に能登半島地震が起きました。被災地には全国から支援物資や募金、ボランティア募集など、支援の輪が広がっています。災害が起きた直後は、支援の輪が拡大します。これが、半年、1年、3年と時間が経つにつれて、人々の中から少しずつ記憶が薄れていきます。それは当たり前だと先生は思います。被災した人も支援する人も、日常の生活があり、一生懸命生きています。

 被災された方のお話の中で、この震災を忘れないで欲しい、この日に思い出して欲しいとおっしゃっていたことが心に残っています。

震災が起きた日やその場所を訪れたときに思い出すことで、次の自分の行動につなげていきたいです。

1/17「生徒へのメッセージ」より

今日は様々な記事を目にしました。

29年前の今日、私はスキー場にいました。昼食時に見たテレビの映像が今朝起こったことだと受け止めるまでに時間を要しました。そのままテレビの前から離れられず、しばらくして帰路につきました。

帰りの車の中のラジオから流れる安否確認情報をずっと聞きながら帰ったことを、今も覚えています。

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オカマサ
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