【百人一首鑑賞】月見ればちぢにものこそ悲しけれわが身一つの秋にはあらねど 大江千里
■月見ればちぢにものこそ悲しけれわが身一つの秋にはあらねど 大江千里
(詠んで味わう)つきみればちぢにものこそかなしけれ わがみひとつのあきにあらねど
こんばんは。これまで取り上げた百人一首の中に、20番台と80番台の和歌が
ないことに気が付きました!これはいかん(汗)ということで、まずは20番台の和歌を【そこはかとなく】眺めていたのですが、いつかいつか調べてみたいと思っていた歌人「大江千里」がおりましたので、今宵はこちらでお付き合いをお願いいたします♪
■現代語訳
秋の月を見れば物思いさまざま 心は千々に乱れてうら悲しいのだ
私ひとりのために 亜紀がきたのではないけれど 田辺聖子著「田辺聖子の百人一首より」
■語句解説
ちぢに・・・千々に=さまざまに
大江千里さんってどんな人なの?
違いますよ違いますよ違いますと(笑)
シンガーソングライターの大江千里さんとは違いますよ!
歌人の大江千里は宇多天皇の頃に活躍した漢学者であり歌人でもあった
宮廷人でございます。
宇多天皇というと!「難波潟短き芦の節の間も・・・」を詠った
歌人の伊勢が天皇の皇子(もっというと、宇多天皇のお子さんの皇子も生んだけど)を産んでますから、その時代ですね。→伊勢寄りの時代感ですが、、、
実はこの人、あの平安色男代表の、在原業平と行平の甥っ子になるのだそう。いかにも「歌人家系」のお生まれですが、業平・行平が作る作品に比しては多少魅力に欠ける、、、という評価も聞こえています。本業は漢学者ですから、少し作品に「固さ」もあるのでしょう。
それにしても「月」と「秋」の和歌です
現代の感覚だと、秋は実りの季節でそうそう物悲しいと感じる
肌感覚もありませんが、平安の世です。
頃合いは中秋の名月も過ぎていよいよ秋風も吹きすさぶ季節。
なんてたって、古代人は「月」が好き!
というより「月」が生活のリズムそのものですからね、
身近なトピック中のトピックなのです。
月をみれば、そう人は考え事をします。
人類共通ではないでしょうか。
私がこの和歌で気になっているのは
わが身一つの秋にはあらねど
田辺聖子先生はこの訳を「私ひとりのために秋がきたのではないけれど」
とされています。これは、投げやり感を感じてしまいます。
「私ひとりだけが悩んでいるわけではないけれど、(みんな悩みごとを持っているんだけどね)けど、言いたいのです。悲しいと!」
ということでしょうか。
実は私もこういったニュアンスでよく会話しています
「それを言うと、みんなそうだとは思うのだけど、仕事きつい!!」
みたいな。平安の秀歌を私の愚痴会話を一緒にしてしまいますのは
恐れ多いのですが、時代を経てもそのあたりの感情は同じなのでは?と思ってしまいます。
月は過去現在変わらず、みなを受けいれてくれます。
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