人工的に作られたものは持続不可能な悪
移民の方々が残していった日本語の本は、子供が読めないので捨てられてしまいます。たぶんその中には貴重な本もあるでしょうがもったいない話です。それで私も読めるうちになるべく読んでおこうと思って今、河合雅雄著「森林がサルを生んだ」を読んでいます。
その中には「人間、この不自然な生物」「反自然的進化」「楽園に生まれた悪」などという章があり、人間の創りだした文化というものは、自然の秩序から逸脱している、ということが書いてあります。
そして人間が創りだした人工的文化はみな“持続不可能な悪”だとあります。
ですから前回書きましたタトゥー文化も間違ったものであり、昔から「身体髪膚之を父母に受く、あえて毀傷せざるは孝の始めなり」、といわれてきました。そうしてみるとまさに前回の、移民百周年記念の自然公園に人工的なオブジェを立てるのはやはり愚行といえましょう。
人間が快適さを求めて新たな人工的環境を作るときは、できるだけ自然環境を壊さないようにしなければなりません。ですから日本の公園などの柵はセメントで丸木に似せて作られてあり、自然と調和するような配慮がなされています。
ですから西洋の四角や丸く刈り込んだ幾何学模様の庭園は反自然的で、人間の思い上がりを表している空間であり、一方の自然を模した日本庭園の方は日本人の慎ましい精神が感じられます。
西洋文明の人間至上主義では、人間が自然を支配しているのだから、森林保護、自然保護などと平気で言いますが、本当は人間が森林や自然に保護されているのであって、子供が親の保護者ではありません。
日本人が自然をおそれ敬い、畏敬の念で自然を崇拝することは、世界中が学ぶべき持続可能の哲学であり宗教心であるといえましょう。
<今日の名言>
「身体髪膚これを父母に受く、あえて毀傷せざるは孝の始めなり」
(しんたいはっぷこれをふぼにうく あえてきしょうせざるは こうのはじめなり)
意味:人の身体はすべて父母から恵まれたものであるから、傷つけないようにするのが孝行の始めである。《「孝経」から》