言葉は争いの元 / 葦原の瑞穂の国は神ながら言挙げせぬ国
日本では自然を神とするので八百万の神々がいます。
ですから日本人にとって神が自然以外の別の場所にいるとは到底考えられません。
神道には聖書のような聖典(教義・教理)がありません。
自然はものを言いませんから文字化できません。
でも聖書のヨハネの福音書は、初めに言(ことば)があった。言は神であった、で始まっています。
別の聖書には「みことば」と仮名で記してあります。
いずれにしても、キリスト教の神は人間の創作だから言葉を尽くして教理の説明が必要なのでしょう。
この教理は人